ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「人権の日」に子ども時代をからめて

2022-12-10 22:12:36 | 「育」業
そうか、今日12月10日は、「世界人権デー」か。
1948年12月10日に「世界人権宣言」が第3回国連総会で採択されたのを記念してできた日だという。 世界各国で人権にまつわる行事が行われるのだそうだ。

50年以上前の自分の少年時代に比べると、人権に対する意識はずいぶん大きくなったものだと思う。
かつて仕事をしていたとき、大勢の子どもたちを前に、自分が子どものころにつらい経験をしたことについて話すことによって、考えてもらいたかったのだった。
少し恥ずかしいが、その話のうちの一つを載せておくことにする。

ああ、またいやな月曜日だ。学校に行きたくない。行けば、またクラスのボスのAやその周りの奴らに、はたかれたり悪口を言われたりして、いじめられる…。
同じクラスの気が短くてケンカの強いAのことは、皆が恐れていました。
Aは、音楽の授業がきらいでした。だから、音楽の時間の前には、「音楽の時間になったら、授業中に騒いで先生を怒らせて、少しでも音楽の授業ができないようにしろ。」と、毎回いろいろな人に言いつけていました。
また、放課後も、「オレはチョコレートが食いたいから、店から盗んで来い。」と何人かに命令して、店の人の目を盗んで取って来させたりもしていました。
クラスの男子たちは、こんなふうに勝手なことを言うAに逆らえずにいました。もし、反対したら、殴られたり蹴られたりするからです。だから、Aが怒って、Aになぐられたりけられたりしないように、Aのご機嫌取りをしている男子ばかりでした。
Aには逆らえないでいやな思いをしている人は、自然と自分より弱い人に八つ当たりするようになって、自分より弱い者をいじめるようになります。力の強い人から順番に、弱い人へ弱い人へと暴力や悪口は広がっていきました。その一番弱い人の先に私がいました。私は、いつもいじめられていたのです。ほとんどの男子が、私を何か理由を付けて、攻撃してきました。
私は、今でこそこうして体が大きくて丈夫になりましたが、小学生の頃は、よく熱を出したり病気になったりして、とてもひ弱でした。体が弱いので、スポーツもうまくできません。周りの子たちは、何か理由を付けて、攻撃してくるのです。スポーツができないと、そのことを馬鹿にされます。けんかなんか、もちろん一番弱かったです。だから、私にわざと強くぶつかってきたりはたいたりする奴もいました。そして、「バーカ。悔しかったら、かかってこい。」などと言ったりするのです。我慢しきれなくなってかかっていったこともありましたが、いつももっとひどくはたかれたり蹴られたりしたので、私は、我慢し続けて、相手にしないようにしていました。
 相手にしないようにしていても、毎日毎日いやなことを言われたり、暴力を受けたりしていました。だから、本当に学校に行くのがいやでした。
いじめられていることを、家の人にも言わずにいました。泣いて帰った時、父は、「やられたのならやり返して来い。」と言って、外に私を出したことがありました。父は、私にもっと強い人になってほしかったのです。でも、私には、それができませんでした。母は、いつも本当に心配してくれました。だから、逆にあんまり心配かけてはいけない、と思うようになりました。だから、父にも母にも心配をかけたくないので、学校でいやなことがあっても、毎日がまんして過ごしていたのです。
ただ、いやなことやいやなやつらに負けてたまるか、とだけは、心に強く思っていました。
こんなにつらい小学校の頃でしたが、私の気持ちを救ってくれていたのは、たった一人の友だち、B君でした。B君は、
「Aの周りにいる奴らは、Aのことが怖いからぼくたちをいじめてるんだ。Aにやられていやな思いをしているから、それよりも弱いぼくたちを攻撃してくるんだ。ボクらは、音楽の時間に騒げとかチョコレートを盗んで来い、と言われても、やらないよね。だから、泣かされたりするんだけど、本当の弱虫は、AやAの言いなりになって悪いことをしたり、ボクたちをいじめたりする奴らだよ。」
とよく言って、いじめられる私を勇気づけ、励ましてくれました。
 一緒に遊んでくれ、励ましてくれるB君がいたから、私は、完全にひとりぼっちにならずに、生きてこられたのだと、今になって思っています。
 皆さんのまわりには、ひとりぼっちで困っている子はいませんか?
 まさか、理由を付けて、だれかを困らせようとしたりしていないでしょうね。
あの子はいやな子だから困らせてやろう、と考えていやなことをしたりしていないでしょうね。人の体や心を傷つけて喜んでいる人は、人間の気持ちがなくなっていきます。
 
小学校時代の私が6年生の時、隣のクラスの先生が、私がいじめにあっていることに気付いてくれました。学校で保護者会が開かれたりして、大きな問題になりました。
父も、「強くなれ」とは言わなくなり、母も、なぜ今まで言わなかったのだと言って、本当に心配してくれました。校長先生や町の教育委員会にかけ合って、今までのクラスの友だちと別れて、私が別な中学校に行けるように努力してくれました。
その時、分かりました。親は、本当に子どものことを心配しているのだと。だから、本当につらいいじめなどは、相談してよいのだということを。
小学校時代のみんなと別れて行った中学校でも、よいことばかりではありませんでした。いやなことを言う奴ももちろんいました。反対に、自分が言ったことやしたことでも、他の人の心を傷つけてしまったことも、ありました。
こんなふうに、小学校時代にいじめられ、いやな思いをたくさんしてきた私が、皆さんに、今伝えたいことをもう一度、言います。
・ 自分と人の、命と心を大切にしよう。
・ いやなことに負けるな。強い人じゃなくてもいいから、生き続けよう。
・ B君のように、ほかの人を元気にできる人になってほしい。
皆さんが、自分のことも人のことも大事にできる人として成長していってくれることを、私は、いつもいつもずうっと願っていますからね。

人権という言葉など、子どもの間に存在しなかった(?)私の小学校時代。
だからこそその大切さを知ったのだった。
現代は、大きく変わったなあ…と感慨に浸りながら思うのである。
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