ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

スポーツクライミングに大興奮!

2019-08-21 20:24:53 | スポーツ
東京五輪の新種目として、スポーツクライミングが行われることを知ったのは、だいぶ前になる。
しかし、スポーツニュースなどで、誰それが何々の大会で何位になった、ということはよく聞いたものの、実際にそのスポーツが行われているのをハラハラしながら見ることはなかった。

でも、昨日今日、日本で行われている世界選手権の放送を初めて見た。
NHKでは、2日間とも同じ時間にBS2チャンネルでいつも応援している阪神タイガースの試合を生中継していたのだ。
しかし、今回は野球よりも、BS1で放映しているスポーツクライミングの中継に目が釘付けになった。

事前の知識では、「スピード」「ボルダリング」「リード」の3種目で競うのだということは分かっていた。
ただし、かりに自分が若いとしても、挑戦したいスポーツかどうかというと、自分にとっては体の苦手な部分を使うことが多いので、やってみたいとは思わない。
上半身とか指先の筋力を使うということや、瞬間的な技術が必要とされるものは、私にとって大の苦手な分野(?)のスポーツなのだ。

しかも、スピード、ボルダリング、リードと、それぞれ要求される専門的な技術が違うところがある。
それが、五輪種目となったものは、その3種目ではなく、3種目の合計で競うスポーツクライミング1種目である。
だから、自分の得意種目はもちろん、苦手な種目でも対応する力をつけていかなくてはいけない。

今回は、東京で開催しながら、かつ、日本代表内定者が決まるという厳しさがあった。

どの種目でも壁に取り付けられた突起物をつかみながら、腕力・体力が失われていく中で、ゴールを目指して難しい斜面を登っていく。
そのすごさに圧倒された。
人間技ではないが、彼らは人間なのだ。
ハラハラドキドキして、興奮した。

そんな中で、男子の楢崎智亜、女子の野口啓代が、今大会で日本人選手の中で最も優秀な成績を上げ、東京五輪内定を決めた。
2日間見ていて、その両者は、世界に通じる技術と体力を持っていることを確信した。
ぜひ、来年の東京五輪で、そのすばらしい技と体力を生かして、五輪新種目のメダルを獲得してほしい。
期待しよう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうかい 「ミヤマウズラ」というのかい。

2019-08-20 21:35:17 | 草木花
けっこうひんぱんに散歩に行く場所であっても、一年を通して、となると案外行っていない季節もあったりする。
8月は暑いので、あまり外歩きをすることはなかったのだが、先日は新しい発見があった。
山野草の花のことである。

8年ほど前に、夏に登った山で初めてこの花を見たことを覚えている。

だが、その名称が分からないままでいた。
そして、その後、山に行く機会も減っているので、この花と再会することもないままであった。

ところが、先日、久しぶりに日陰のある所を歩いて行こうと出かけたところに、その花は咲いていた。

なんだか鳥が飛んでいるような形の花が縦にずらっと並んでいるようにも見える。

久しぶりだなあ、と思いつつ、家に帰ってからさかのぼって行ってみると、なんともう8年も経っていた。
8年ぶりの再会であったのだ。

8年前には、調べてみても名前がわからないままだったのだが、今回は、「新潟県の山の花」(加藤明文著;新潟日報事業社)に、似た花を見つけた。
その名を「ヒメミヤマウズラ」と言う。
ただ、少し違う気もするので、「ヒメ」がない「ミヤマウズラ」を調べてみた。
あちらこちらのミヤマウズラの画像をググって見てみると、どうやらこっちの方らしいと思えた。
そうかい。「ミヤマウズラ」というのかい。
名前は、葉の白い斑が入った様子が、鳥のウズラの羽の模様に似ているから来ているということだった。

8年ぶりに見かけて、そして名前も分かって、めでたしめでたしであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルビレックス新潟、早川史哉の病を乗り越えた復活にウルウル…

2019-08-19 22:25:59 | ひと
舞行龍の復帰、ということで期待した岡山戦だったが、虚しく0-3での惨敗だった。
しかし、「復帰」ということなら、敗戦試合を喜びに変えるほどの感動が、試合前に届けられた。
それは、急性白血病から復帰して、早川史哉が3年ぶりにベンチ入りしたことであった。
急性白血病から復帰の新潟早川3年ぶりベンチ入り
J2新潟DF早川 白血病から復帰でベンチ入り 出番なしも「声援がうれしかった」


10代の頃はユースの日本代表として、世界でベスト8の経験をしたこともあり、将来を嘱望されていた早川。
それがアルビレックス新潟に入団して開幕レギュラーをつかんでいたのに、急性白血病を発症し、闘病生活に入った彼。
彼を応援しようと、全国各地で募金活動や励ましの活動が繰り広げられたこともあった。

彼の闘病の様子は、時々メディアで紹介されていたのを見てきた。
そして、ここでも何度か書いてきた。

史哉!!
「新潟ニュース610」の特集「白血病と闘うアルビ・早川選手に密着」が心にしみた
うれしいニュース 28番早川史哉選手 契約凍結解除の発表

…が、彼の悩んだり苦しんだりする姿は、見ていてやはり苦しいものだった。

しかし、その苦しみを1つ1つ乗り越えながら、彼は前に進んできた。
そして、凍結された契約が更新され、今季再びの選手生活に入ることができるようになった。
ただし、まだ十分に体力が回復していないので、練習や試合の完全参加には時間を要してきた。

それでも、彼は自分の闘病体験を生かし、あちこちに出かけ、励ましを行ったり体験を語ったりしてきた。
池江璃花子選手の発症に関してもコメントを求められたりもしたが、落ち着いた対応を見せた。

先月、娘と聖籠の練習場を訪ねたときも、笑顔で快くサインに応じてくれていた。

ただ、そんな姿を見ながら、彼の体調はどんななのだろうか?
彼の試合に出る選手としての復帰の日は来るのだろうか?
などと思ったりもしたのだった。

それからひと月半、突然の彼のベンチ入りに、本当に驚いた。
ピッチで練習する姿に、ここまできたんだなあ、よくがんばってきたなあと胸が熱くなった。


スタジアムでは、彼の復活を祝って、入団から始まって、試合出場、闘病、

再契約、

練習風景など、

今までの彼の歩みをビジョンに映して紹介していた。

その画像を見ながら、見ているこちらも涙が出てきてウルウルしていた。

残念ながら、この試合に出場することはなかったが、試合後の場内1周では、何度も手を挙げ、丁寧に声援に応える姿に、彼の誠実な人柄を見たような気がした。

そして、翌日の練習試合では、90分間試合に出場して、ゴールも決めたと報じられていた。
新潟早川、練習試合でミドル弾 次戦出場へアピール
J2新潟DF早川“復活弾”!急性白血病克服後、対外試合で初「1000年に1度くらいの感触」

新聞記事やテレビの報道では、次こそ出場を目指しているというコメントが紹介されていた。
監督も、早川のことを「サッカーIQが高い選手」と評価している。

試合に出るための、本当のスタートラインに立ったと言えるのではないだろうか。
そのサッカーIQの高さを発揮する姿をぜひ見たいと思う。
先発メンバーで試合に出場する日が近いことを、心から信じて応援したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第101回夏の高校野球、日本海沿い各県代表の高校、健闘す

2019-08-18 20:30:27 | スポーツ
昨日は、夏の甲子園3回戦が2日間にわたって行われるうちの2日目。
組合せを見て、ある意味ビックリ!
第1試合 高岡商 対 履正社
第2試合 星稜 対 智弁和歌山
第3試合 敦賀気比 対 仙台育英
第4試合 鶴岡東 対 関東第一

何がって、高岡商は富山、星稜は石川、敦賀気比は福井…と、ここまでの3校は北信越地区の学校。
これに、新潟と長野の両県を加えれば、北信越勢が出そろう。
そんなふうに、3回戦に3校も北信越地区の学校が名を連ねるなんて、強い地区になってきたものだと思った。

びっくりしたのはそれだけでなく、新潟の隣県である山形県の代表が鶴岡東であった。
山形県は、新潟県と並んで甲子園での勝利が少ない県なのである。
なのに、春の選抜準優勝の習志野を2回戦で破って進出してきている。
北信越、そして山形県と、かつて弱小だったところがベスト16で、準々決勝進出をかけて戦っているのだから、ビックリである。

ところで、この4つの県は、日本海沿いの県なのである。
冬は降雪や積雪があったりして、気候条件に恵まれてはいない地域なのである。
順番に北上していってみる。
高校名順にたどると、「敦賀気比-星稜-高岡商-鶴岡東」となるが、県名順に並べてみると、南から北に行く順番に県を並べてみると、ある県をはさんで、次のように並ぶ。

福井県-石川県-富山県-(   県)-山形県。

さて、(   )に入るのは、何県でしょうか?

…お分かりのとおり、日本海沿いで富山県と山形県にはさまれている県は、そう、わが新潟県!

…ということは、今大会、新潟県だけ活躍していない…ということになる!?
来年こそは、新潟県の、他県に負けない活躍を期待したい。

そして、3回戦では、敦賀気比が仙台育英に、高岡商が履正社に、鶴岡東が関東第一に、それぞれいい試合をしながら負けてしまった。
惜しかった。
勝ち上がったのは、延長14回サヨナラ勝ちした星稜だけであった。
奥川投手の延長14回の熱投、23奪三振は、感動ものであった。

そして、今日の準々決勝の結果、新潟県と同じ北信越地区の星稜高校が、今大会№1投手の奥川を休ませながら、準決勝へと勝ち進んだ。

がんばれ、星稜!
がんばれ、北信越!
がんばれ日本海沿岸地区!

あと2日、応援することにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞行龍復帰も、自ら不安を呼び込み、判定にも泣き、完敗・連敗…

2019-08-17 23:22:05 | アルビレックス新潟
得点力は、J2でもトップの44得点。
なのに、J2では現在10位でしかないアルビレックス新潟。
なぜか?
失点数が非常に多いからである。
攻勢でチャンスを決まられずにいるうちに、相手にズドンと決められる。
そういう試合の何と多いことか。

そんな実態を考えると、新潟は守備が弱い。
特に、相手攻撃陣に対するゴール前でのディフェンスが弱いと言える。
DF陣が弱いから補強が必要、という声は以前からあった。

そこに、舞行龍(マイケル)ジェームズの完全移籍での新潟復帰のニュース。
日本の高校を卒業してすぐアルビレックス新潟に加入した舞行龍。
他チームへの期限付き移籍を経験しながら、J1新潟の主力となった舞行龍。
県内の一般女性と結婚した舞行龍。
ますます期待が高まったところで、フロンターレ川崎へ移籍してしまった。

川崎ではケガが多く、レギュラーとしての活躍こそなかったものの、アジアチャンピオンズリーグの試合に出場するなど、経験値は高めたはず。
だから、チームからもサポーターからも舞行龍に対する期待は高く、加入したばかりなのに今日の試合の先発メンバーに名を連ねた。

大武と組んでセンターバックを務めたのだった。

第28節、ホーム岡山戦。

ビジョンに映る、選手を代表しての言葉は、早速その舞行龍から発せられた。



ただ、采配で解せないのは、右サイドバックに岡本を起用したこと。
今まで彼はセンターバックとしての起用だった。
専門職としての動きが必要なサイドバックができるのか?と思った。

その懸念は、試合が始まるとやはり当たってしまった。
岡本の動きは、鈍く見えた。
岡山の選手たちの速い寄せについていけていない場面がよくあった。
そんな弱みもあってか、鋭い攻めがないままに、岡山に32分に先制されてしまった。

舞行龍の動きは悪くなかっただけに、残念だった。

監督は、後半になると舞行龍を右サイドバックにし、岡本とポジションを交代させた。
たしかに、舞行龍はサイドバックもできるが、一番生きるのはそこではない。
63分、岡山キーパーの縦に入れたキックから、簡単に2点目を許してしまった。

この試合、目立ったのは、疑問符の付く主審の判定。
ファウルの判定基準がどうもあいまいだ。
カウエ、戸嶋、舞行龍、高木と、なんと4枚も新潟にイエローカードが出た。
新潟のサポーターから見ると、岡山のファウルは見逃し、新潟の選手の接触はすべてファウルにしている、という感じ。
あまりにも一方的なので、主審に話をしに行った戸嶋に、なんとイエローカードが出た。
理不尽な判定にボールを叩いた高木には、当然のイエローカード。
これで高木は累積で次の2試合が出られなくなってしまった。
おまけに、試合終了間際には、簡単に岡山にPKをあげる判定をするのだから始末が悪い。
0-3で惨めな試合は終わってしまった。

試合終了後、いろいろな人が審判団に詰め寄っていたが、当然だと思える判定のひどさだった。

ジャッジはともかく、2点めまで取られたのは、チームの責任だ。
舞行龍をセンターバックで生かすのなら、岡本のサイドバック起用はないだろう、と思えた。
そこには、堀米やサムエルサントスがいるのだから…。
おっと。
監督の采配に口を出したくなるようなら、いよいよ先行きが怪しい証拠。

さて、8月反攻を掲げていたが、完敗の連敗では、それもうまくいかないことが明白となった。
ここ数年、8月はアルビレックス新潟にとって、苦しい成績が続いている。
1週間後の金沢戦、2週間後の福岡戦で勝利しない限り、新潟の上位浮上は望めそうにない。
うーん…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気温が30℃を割った?ならば少し走って来よう

2019-08-16 21:00:28 | RUN
台風が日本海を通過中、ということで、朝から暑かった。
風もいくらか吹いたが、強風というほどではなかった。
その分、風で暑さは少し吹き飛んでいるように思えた。
しかし、なかなかまとまった雨は降らなかった。
それでも、午前中はそれなりに、夕方の水やりはしなくてもよいくらいには降ってくれた。

午後、雨が止んだ。
くもり空、いつ降ってもおかしくないような空。
だけど、舗道は濡れているし、気温も30℃前後にまで落ちた。
8月になってから、毎週1回10kmを走るくらいでは、RUNNERです、なんて言えないよな。
陽射しがないこの天候は、8月になってからなかったことだ。
せっかくだから、今日はやっぱり走ろうか。
…ということで、午後4時半頃走り出した。
気温は、29℃。
気温が30℃を割った?ならば、久しぶりに少し走って来よう。
こんなに低い(!?)気温の中を走れるなんて久しぶりじゃないか?


走り出してみると、まるで走り方を忘れたみたいに、ぎくしゃくした動きで、われながら苦笑した。
およそ10日ぶりの走りって、こんなに情けないものなのかな。

1kmをジョギングした後、次の1kmはガチ走。
その後休んで、また1kmガチ走。
そしてユル走に移る。
いやあ、汗の出ること、出ること。
途中1度水飲みを入れ、水分を補給。
塩分チャージタブレットと男梅(飴)をなめながら、塩分も補給。
ユル走を7km走って、合計10kmを約1時間かけて走り切った。
全身から汗がしたたり落ちる。
気温が30℃弱といっても、まだまだ真夏の暑さだったということだ。
短パンからは、まるで漏らしたみたいに、汗のしずくがポタポタいやボタボタと地面に落ちた。
Tシャツの下の体の汗は、びしゃびしゃで、さらにヌルヌル。
自分の汗が何かの粘液のように感じてしまう。

シャワーを浴びた後の体重は、68.7㎏。
昨日は71.5㎏だったのだから、3㎏近くの汗をかいたということだろうか。
しかし、気分的には爽やかであった。
わずか10㎞なのに疲れ切ったが、後半の3kmくらいは、走りが安定してきたな、走り方を思い出したかな、というように感じる、いいジョギングになった。

よかった。
久々に走れて。

台風が通過し、少し気温も下がったことだし、走った疲れで今夜は気持ちよく寝ることができるかもしれないな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の影響でフェーン現象 連日の酷暑

2019-08-15 22:19:30 | 自然・季節
今日も一日暑かった。
新潟県では、フェーン現象の影響が続いた。
県内の胎内市では、午後1時過ぎに40.7℃を観測し、今年の日本最高気温を記録した。
胎内市では数年前に、40.8℃を記録したことがある。
それに迫る。

新潟県は、昨日の上越市(40.3℃)に続き連日の全国1位である。
そのほか、海岸部の長岡市寺泊で40.6℃、三条市で40.0℃と県内で何か所も40℃以上を記録した。
新潟県だと、冬の雪=涼しい夏と思うだろうが、どっこい夏はそれなりに暑いのである。
そこにこのフェーン現象だから、手に負えない猛暑になってしまう。

わが家も、家の中でも暑く、今日の昼下がりには、陽の当たらない台所で37℃を超えていた。
もともと昨夜は、ひと晩中32度台を下がることはなかった。
今朝は、そこから一日が始まったのだから、暑いはずである。
外の気温表示は、今日も16時過ぎに39℃であった。

間違いなく自分の人生で最も暑い2日間になった。

こんな暑さだから、走ることもずっと控えている。
この3週間、2回しか走っていない。
オジ(イ)さんは、無理はしません。
走りません。
ところが、昨日も今日も、この暑さの中で単独で走っている若者(?)の姿を見た。
信じられない!
まあ、ヘンな対抗意識や自己満足の追求はせずに、年相応に走ることをガマンして、なんとかこの暑さを乗り切ろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の影響でフェーン現象 酷暑の一日

2019-08-14 22:11:56 | 自然・季節
大型の台風10号が日本に近づいてきた。
明日は、その影響で列車の運行休止や間引き運転などにするという決定もなされた。
盆で帰っている人が多い時期だというのに、移動できなくて大混乱になってきている。
大変だ。
以前は、盆の時期に台風が来るなどということはなかった。
昔、理科で学習したときは、8月の台風は、東シナ海から日本海を回って北上していくのが普通だった。
台風が日本を襲う進路を取るのは、9月のことだった。

それなのに、今は7月や8月でも、普通に台風が来る。
迷走する台風も多い。
昔の理科の学習は全く役に立たなくなっている。

今日は、その台風の影響で、新潟県内はひどいフェーン現象となった。
上越市では、およそ100年の観測史上最高の40.3℃を記録した。
当地でも、私が感じた中で、人生で最も暑く感じた一日であった。

朝からすでに31℃を超えていた。
一日中エアコンの効いた部屋にいるのは好きではないのだが、午前中からエアコンをONにしなくてはいけなかった。
庭の植物は、しおれてしまったり、ひどいものは枯れてしまったりした。
数日前まできれいな花を咲かせていたインパチェンスは、急にしおれて水をやっても生き返った感はなく枯れてしまった。
2階の部屋は、窓を開け放し風通しをよくしていたのに、午後には、37℃前後になっていた。
4時過ぎに外に出かけると、道路脇の気温表示は39℃を示していた。
外の空気に触れ、これはうそではないなと感じた。

台風に伴うフェーン現象は、たしかに熱風が吹いたりはしていた。
しかし、それは9月が多かった。
このように8月にフェーン現象が起こると、さらに気温が高くなると感じる。
今日は、上越市だけでなく、三条市で39.5℃、新潟市で38.8℃、長岡市で37.8℃など、県内の29の観測地点のうち、18の地点で今年最高を更新したのだそうだ。

明日も台風の影響は続く。
新潟県内は、明日も暑くなりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑に負けず、涼しげにオクラの花咲く

2019-08-13 20:43:35 | 草木花
8月13日。
盆の入り。
暑い盆となった。
日中の気温は36℃を超えた。

連日の暑さで、わが家の庭のキュウリはすでに枯れ、ミニトマトも大部分が枯れてしまった。
野菜を育てるのが夏のささやかな楽しみなのだが、枯れてしまっては実りの喜びは味わえない。
今日は、野菜ではないが、プランターのインパチェンスまでひと苗枯れてしまった。
みな、暑さにやられてしまっている。

ところが、暑くなって、元気になった野菜がある。
それは、オクラ。
今年は、オクラの苗が育たない。
枯れてしまったり、かろうじて細々と生き延びていたり、という様子だった。

ところが、暑くなってから、ダメになる野菜が多い中で、ただ一人(?)元気を回復しているのがこのオクラなのだ。
少し前まで虫に食われて形がなくなりそうだったのに、今は葉を大きく広げて、茎も太くなってきている。

そして、今日、ついにこの夏初めてオクラの花をおがむことができた。


その花は小さかったのだけれど、なんと涼しげに咲いているのだろう。


今年も、「夏の野菜の花の中で一番好きな花」であるオクラの花を見ることができたのはうれしかった。
育ちが悪くて、つい先日まで、今年は実も花もあきらめていたのに。
これからも、そのきれいな花をたくさん咲かせていってほしいものだ。
厳しい暑さの中で、ささやかな期待をふくらませている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和元年に、平成元年度の小学校卒業生たちと飲む

2019-08-12 21:25:36 | 「育」業
令和元年の今年。
「平成元年度小学校卒業生」の教え子が、先日、同窓会を開いて呼んでくれた。
同窓会とは言っても、集まったのは、男ばかりの10名ほど。
教え子といっても、すでに40代の働き盛りを生きている彼ら。
その彼らは、あれから30年余り経った今を、本当にイイ感じで生きていた。


すでに高校生となっている子どもをもつ男たちもいた。
高校3年生の子息をもつ2人の男。
高校野球でがんばって新潟県大会決勝まで行き、甲子園まであと一歩で敗れたA。
彼の息子も有望校で野球をやっていて、高3のこの夏の予選にかけていたのだそうだが、意外に早く負けてしまったとか。
でも、自らが高校で野球を教わった恩師が指導している高校に、息子も通わせたのだという。

外で汗をかいて働く仕事が多いというB。
その息子は、父親の姿よりも、母の職業である美容師へと進路を決めた。
「でも、あいつはオレが外で人のために働いていることをよく知らないんだ。オレは、わかってもらえなくても、やりがいをもってやっているよ。」と言っていた。

Cは、この日のために新潟に来たので、明日はすぐ東京に戻るという。
高校を卒業してから勤めた会社を辞めた後、ボクシングをするために上京した。
そのとき、口コミで連絡し合った同級生たちが新潟駅で見送ってくれた。
4回戦デビューしたときは、負けたけど、何人も横断幕まで用意して応援に来てくれたのはありがたかった。今でもその応援幕は家に保管してあるのだそうだ。
そして、母親が亡くなった時も、連絡しなかったのにいつの間にか仲間が集まって来てくれたのも驚きだった、と感謝しながら言っていた。


この代の連中(言葉遣いが悪くてゴメン)は、本当にじっとしていられなくてよく動くし、遊ぶことなど、楽しいことばかりが好きな者ばかりだった。
でも、口は悪くても、仲間のことを思う気持ちはとても深い、いい奴らだったのだなということに気付かされる。
Cのことでもわかるように、困っている仲間のことを見逃さない心をもっていた。

この日集まった彼らの中には、有名企業等に勤めている者は誰もいない。
しかし、皆、今充実感をもちながら人生を生きていると分かった。
これなのだ。
人が人とのつながりを大切にして生きている。
自分の暮らしにそれなりの生きがいをもって生きている。

決して偏差値の高い学校に進学させたり、有名大学から有名企業に進ませたりすることだけが教育の目的ではないのだ。
このように、目の前の子どもに学習する力をつけるだけでなく、将来大人になって自立して生きがいをもって生きていける力をつけるのが、教育の大切な務めだと思う。
そう思って、39年間仕事をしてきた。
それが間違っていなかったことを思わせてくれる夜であった。
気持ちよく杯が進んだ。

…久々の痛飲のおかげで、夜中から明け方、すばらしくズキズキとうずくような頭痛に苦しんだ私であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする