「八幡堀・はちまんぼり」
という言葉を聞くと、時代劇を連想します。
『ちょいと、八丁堀のだんな!』 なんてセリフが聞こえて来そうな、
こんな所を若旦那が町娘を追って、かけて来たり、
こんな舟の上でお侍さんがお昼寝したり、
日がな一日、釣りをしてたり、
荷を運ぶ船が行き交い、
運ばれてきた荷を降ろしたりまた、積んだりで賑わう船着き場
「水郷めぐり」 とはまた違う味わいです。
近江八幡の町が発展した理由のひとつとして、「八幡堀」は外せません。
豊臣秀次の八幡山城の防御のための堀ではありますが、この堀を
秀次は「運河」としての役目も加えました。
その頃は、陸上より水上交通が主であり、びわ湖をたくさんの船が
行き交いました。
秀次はその船をすべて、八幡の町に寄港させたのです。
城下では「楽市楽座」を取り入れていたこともあって商人の町として
発達しました。
ただ、昭和の高度経済成長期には水路の役目がどんどんなくなり、
草が生い茂りドブ川同様でしたが、地元の若い人たちが、清掃活動をし、
元の姿を蘇えらせたのです。
今では、近江八幡の代表的な観光地として、経済を担っています。
日牟礼神社の鳥居の下に八幡堀があり、遊覧船が通ります。
また、橋の袂から下に降りることが出来ます。
菖蒲や四季の花の咲く堀沿いに、地元の子ども達らしき2~3人が
走り抜けていきました。
いつもこうして、遊んでいるのでしょうね。