滋賀県近江八幡市
ここはどのくらいの人に知られているだろうか、不安です。
まずは、お ・ う ・ み ・ はち ・ まん の~
(お) 織田信長
乱世を駆け抜けた英雄信長が天下人の本領を発揮した町。
安土城は天下布武を象徴する城でありました。
(う) ウイリアム・メレル・ヴォーリズ
建築家。
英語教師として来日、その後キリスト教伝道活動と共に、
『 建物の風格は外見でなく人と同じく内容だ 』
との信念を持って、近江八幡を始め全国の建築設計に
貢献しました。
メンソレータム(メンターム) 小さな看護師さんのマークで知られた
「近江兄弟社」 に関わる一環の事業を興しました。
(み) 水の郷
八幡山城を護る「 八幡堀(はちまんぼり) 」 は豊臣秀次によって
運河としての役目が与えられました。
昭和30年頃に堀は一時死んだようなどぶ川になり埋め立ての計画が
持ち上がりましたが、町の若い人達が清掃活動をしかつての姿に
戻しました。
水郷は西の湖~びわ湖とつながり、この湿地一帯はラムサール条約に
登録されています。
(はち) 八幡商人(近江商人)
” 売り手よし 買い手よし 世間よし ” の三方よしの精神を掲げ
発達した商人の町です。
そして、近江商人は日本全国に広がっていき、流通に新風を送り
規模を拡大、今も系譜を引く人が多いと言われます。
(まん) 万葉ロマン
「 老蘇森~おいそのもり 」 いにしえより歌に詠われてきた名高い森で
国の史跡に指定されています。
森の奥の「 奥石神社~おいそじんじゃ 」本殿は重要文化財です。
” ひとこえは 思ひ出てなけ ほととぎす
老い蘇の森の 夜半のむかしを ” 紀伊守範光/平家物語
” 身のよそに いつまでか見ん 東路の
老蘇の森に ふれる白雪 ” 賀茂真淵
” 夜半ならば 老蘇の森の 郭公
今もなかまし忍び音のころ” 本居宣長
(み) の写真です。
「水郷めぐり」
小さな手漕ぎ舟に揺られ、まるで太古の湖に迷い込んだような、そんな所でした。
” 薫風や 水郷舟は 太古へと ”
” くんぷうや すいごうぶねは たいこへと ”
後ろの背の高いのが「よし またの名は あし」
手前の背が低く平たい葉の水草は「 まこも 」
「まこも」 って演歌に出てくるなあと検索したら、
大利根流れ月~氷川きよし、股旅演歌ですね♪
https://youtu.be/Ie4TX057cXo
こんなの出ました。聞いてみてください。
おやッ?
おやおやッ?
水郷は水路が細くなったり、大きな湖になったり。
ここは思った以上に、自然だけの、喧噪とは縁のないところでした。
” 葦の湖 櫓返る随に 鳥鳴きて ”
” よしのうみ ろかえるまにまに とりなきて ”