kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

近江八幡ぶらりぶらり

2015-06-11 18:12:10 | 散策

滋賀県近江八幡市

ここはどのくらいの人に知られているだろうか、不安です。

まずは、お ・ う ・ み ・ はち ・ まん  の~

                 

(お) 織田信長

乱世を駆け抜けた英雄信長が天下人の本領を発揮した町。

安土城は天下布武を象徴する城でありました。

          

(う) ウイリアム・メレル・ヴォーリズ

建築家。

英語教師として来日、その後キリスト教伝道活動と共に、

『 建物の風格は外見でなく人と同じく内容だ 』

との信念を持って、近江八幡を始め全国の建築設計に 

貢献しました。

メンソレータム(メンターム) 小さな看護師さんのマークで知られた

「近江兄弟社」 に関わる一環の事業を興しました。

               

(み) 水の郷

八幡山城を護る「 八幡堀(はちまんぼり) 」 は豊臣秀次によって

運河としての役目が与えられました。

昭和30年頃に堀は一時死んだようなどぶ川になり埋め立ての計画が

持ち上がりましたが、町の若い人達が清掃活動をしかつての姿に

戻しました。

       

水郷は西の湖~びわ湖とつながり、この湿地一帯はラムサール条約に

登録されています。

 

              

(はち) 八幡商人(近江商人)

” 売り手よし 買い手よし 世間よし ” の三方よしの精神を掲げ

発達した商人の町です。

そして、近江商人は日本全国に広がっていき、流通に新風を送り

規模を拡大、今も系譜を引く人が多いと言われます。

 

               

(まん) 万葉ロマン

「 老蘇森~おいそのもり 」 いにしえより歌に詠われてきた名高い森で

国の史跡に指定されています。

森の奥の「 奥石神社~おいそじんじゃ 」本殿は重要文化財です。

            

” ひとこえは 思ひ出てなけ ほととぎす 

   老い蘇の森の 夜半のむかしを ”  紀伊守範光/平家物語

               

” 身のよそに いつまでか見ん 東路の

   老蘇の森に ふれる白雪 ”      賀茂真淵

              

” 夜半ならば 老蘇の森の 郭公

   今もなかまし忍び音のころ”      本居宣長

 

               

                     

  (み) の写真です。

「水郷めぐり」

小さな手漕ぎ舟に揺られ、まるで太古の湖に迷い込んだような、そんな所でした。

       

                     

                

 

                    

 ”  薫風や 水郷舟は 太古へと  ”

”  くんぷうや すいごうぶねは たいこへと  ” 

 

 

                   

 

  後ろの背の高いのが「よし またの名は あし」

手前の背が低く平たい葉の水草は「 まこも 」 

        

「まこも」 って演歌に出てくるなあと検索したら、

    

大利根流れ月~氷川きよし、股旅演歌ですね♪

                  

https://youtu.be/Ie4TX057cXo

               

こんなの出ました。聞いてみてください。

           

 

                      

  おやッ?

             

 おやおやッ?

                        

  水郷は水路が細くなったり、大きな湖になったり。

ここは思った以上に、自然だけの、喧噪とは縁のないところでした。

                              

                         

              

 

              

”  葦の湖 櫓返る随に 鳥鳴きて ”

”  よしのうみ ろかえるまにまに とりなきて  ”

                

               

 

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