代々木に行きました。
1964年の東京オリンピックの象徴的な建物を、
一度は見てみたいと思ってました。
8月8日
この日は、ちょっと曇りぎみですが、やはり暑かったです。
代々木公園内はとても静かで緑がきれいでした。
サイクリングやジョギング、散歩の人を時々見る程度です。
東京オリンピックの時は賑わっていたのかなと思いながら、
体育館の方へ公園を横切って行きました。
草の上を歩くのは、やっぱり気持ちいいですね、ふわふわして
横断陸橋を歩いていると、どうやらあの見覚えのある建物が見えてきましたよ。
「国立代々木競技場第一体育館」
1964年東京オリンピックの時の名前は
「国立屋内総合競技場本館」
この時は、水泳、飛び込み、近代五種の水泳の会場になりました。
この独特の屋根の反り
設計は 「丹下健三」
起工から完成までが18か月というのは、驚異的なスピードだったそうです。
はあ~ご多分に洩れず日本もヒヤヒヤの綱渡りといった事もあったんですね~。
左に小さく見えるのは
「国立代々木競技場第二体育館」
1964年の時は
「国立屋内総合競技場別館」
バスケットの会場になりました。
やはり反ってますね。
蛇足ですが、ずっと向こうのパラボラアンテナは、NHKです。
1964年に向けて建築中の写真、ネットから拝借致しました
これは、一日の競技が終わった時の様子でしょうか?
『オヤスミ』
なごむぅ
第二次世界大戦前、代々木には
「代々木練兵場」
がありました。
戦後、進駐してきた米国はここに米軍家族用宿舎
「ワシントンハイツ」
を造りました。
その後、ここの接収解除を米軍に求めるも、なかなか実現しなかったのですが、
1959年、東京オリンピック招致が決定すると、解除されたのです。
ここ代々木には「国立屋内総合競技場」やオリンピック選手村が出来ました。
オリンピックの期間はわずか2週間。
その2週間のために大都市は姿を変えました。
その変貌は良くも悪くも後々まで影響が続きます。
そのことを考え、跡地は緑と水の公園と競技場のある
都会のオアシスとなるよう、整備されたのです。
以前から、TVや地図で見るだけでしたが、
東京は、大都会なのに緑地帯が多いなあと思っていました。
明治神宮は別の理由ではありますが、
やはり緑の森が広がっていますし。
さあ、2020東京オリンピック、パラリンピックに向かって全力始動ですね。
代々木競技場はハンドボールの会場となるようで、
1964年に行われた水泳は東京都江東区の
「オリンピックアクアティクスセンター」 で
競泳、飛び込み、シンクロナイズドスイミングが行われるようです。
ちょっと淋しいような…
東京はまた、大きな変貌を遂げるのでしょうか?
オリンピック後の街、しいては日本の隅々にまで関わる
大切なプロジェクト。
ぜひその影響の大きさを深く読み取ってもらいたいものです。
エンブレム、東京都知事、色々ありましたが
前に進むしかない日本、がんばってください。