kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時二十七

2017-07-24 17:12:47 | おんな城主直虎

 

第29回  女たちの挽歌

 

挽歌、元は中国で葬送の時、柩を挽く者が歌った歌。

転じて、悲しみを歌った詩・歌・楽曲のこと

 

万葉集では人の死を悲しみ悼む歌

古今和歌集以後の哀傷歌

 

とありました

 

私は、挽歌というといちばんに、「石狩挽歌」を思います

 

” …あれから鰊はどこへ行ったやら

おんぼろろ おんぼろぼろろ… ” 

 

さて、戦国の女たちの挽歌は、如何に歌われたのでしょうか

 

 

直虎は戦をせずに済むようにと手段を講じ、

徳川に書状を出しました

 

『戦をここでとどめるというお考えはないか、

例えば、御家が上杉家と結ぶなどして…』

 

ところが、情勢は刻々と代わり、この書状は功を奏すどころか、

三河がもめる引き金となったというのです

 

こんな時に今川は大切な人をなくしてしまった

 

寿桂尼がみまかられたとの知らせが入り、

畏怖の念もあれば、敬愛の人でもある、

直虎にとってすべてだった人の死に、経を捧げるのでした

 

徳川に出入りしている山伏の松下常慶が龍潭寺にやって来て、

井伊は今川か徳川かどちらにつくかと迫られます

 

「人間万事塞翁が馬

禍福は糾える縄の如し

沈む瀬あれば浮かぶ瀬もあり」

 

すみません、しつこかったですね(^_^;)

 

事の発端は、直虎が徳川に出した書状だというのです

直虎が半ば仕方なく徳川につくと答えると、

常慶は、虎松の母しのを人質にと伝え、去って行きました

 

庭の暗がりの中でこれを聞いていた政次は

 

『勇み足になってしまいましたな』

 

しのに自分から伝えようかと言った政次に、直虎は自ら告げると

 

覚悟をしていた直虎に、しののののしりは覆いかぶさって来ましたね

 

『要するに殿が大それたことをおやりになったせいで、

私を人質にという話になってしまったということにございますか』

 

『何ゆえ、かような小さな国衆が戦の勝敗を動かせるなどと思うのですか

思い上がりにも程がございましょう

気賀が手に入り、図にのられたのではございませんか』

 

しのさん、言うよネ~

 

でも、覚悟はしてくれたようで、受けてくれました

 

が、それを聞いた虎松は、そうはいきませんでした

 

母は行きたくないと言っているから、取り消してほしいと、

子供ながらにも、たいしたもので、あの手この手を考えだし

母の人質となることを阻止しようと努力します

 

すごいですよね、賢いのですね、

私でも、私の息子でも、あんな知恵はとうてい浮かびません!

 

母しのも、この出来事をもう一つの大切なことのため、利用していました

それは、いずれ頭首となる虎松のため、

大切な人を人質に出さねばならぬということを考えるための機会だと、

そのため敢えて行きたくないと虎松に言ったのだと

 

転んでもただでは起きないしのさん、

直親、直虎、しの

この三角関係の時も、この方は直虎よりも強烈でしたものね

母となってもそれは衰え知らずです

 

一方、母の愛は揺るぎないものと伝えておきたくて、

虎松に心のよりどころをしっかり残して、人質として旅立ちました

 

そりゃあ、もう二度と会えないという事も考えなければならない世ですものね

 

ここにもまた、戦国の理不尽が…

 

しのを送る代わりにひとつ望みがあるとし、

徳川が攻め入った折り、城は明け渡す

その先、兵を出さない

井伊と気賀以上の安堵は望まない

 

目指すのは、喜びに満ちた日、

民百姓、ひとりたりとも殺さぬこと

 

 そう、直虎は常慶にしっかというのでした

 

 

こうして、しのは松下家へと旅立ちました

 

虎松はこれからは、直虎と同じ館で暮らすことになりました

直虎は、虎松の父として

 

 

 (於:龍潭寺)

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十六

2017-07-24 17:12:11 | おんな城主直虎

 

 

第28回  死の帳面

 

例の如く、この題名は何かのパロディやないか? と

 

黒皮の手帖? ドラマが始まると、

 

「デスノート」

 

そのまんまでした

 

そして、その死の帳面の持ち主は、寿桂尼

 

 

今回は、今川尽くしでした

 

寿桂尼さま、心の臓を患いながらも、今川家のため、

死の帳面をしたため始めたのですね

 

和綴じの、黒と銀鼠色がきれいに配色された上に金片を散らしたような

渋い帳面でした

この帳面の表紙、ほんとカッコいいですね♪

 

 

 

名前が書きこまれていましたが、そのひとつが

「×尾張国・知多~水野弥平大夫」

その名前の上に、真っ赤なバツ印

 

この人は別名水野忠勝、今川義元、氏真の2代に従った、戦国武将

また於代の方(徳川家康の母)は義兄

 

直接話をした寿桂尼は、今川に対する寝返りの兆候が見えたらしく

その場で、バッサリ、命を奪いました

 

 また、直虎の名前もありました

「×遠江・井伊谷~井伊次郎直虎」

   

井伊谷の城主であること

父は直盛、目付に小野但馬、

徳政令を無いことにしてほしいとの申し出を聞き入れたとのこと

みたいなことが書かれてあるのかな?

 

寿桂尼は、直虎を駿府に呼び、過去にあった直親の暗殺のことを

どう思っているか問うた

 

『家を守るということは、きれいごとだけでは達せられませぬ

大方様のなさったことを責められる者がおりましょうか』

 

『狂うてでもおらねば、手を汚すことが愉快な者などおりますまい

汚さざるをえなかった者の闇はどれほどのものかと』

 

この率直な言葉が、寿桂尼にどう響くか、心配なところです

 

その場では、寿桂尼は、直虎に過去を謝り、

これから先も今川を見捨てないでほしいと涙ながらに訴えていました

 

直虎も後見を許してもらったことや、

寿桂尼の書いた「仮名目録」が励みになったことを感謝した

 

のですが、やはり、表向きと本心は違っていました

 

直虎が娘だったらどれだけよかったか、と寿桂尼が思う分だけ、

直虎を敵にまわせば今川にとって良いことなどないと思うことなど

容易に想像つきます、私でも…

 

死の帳面に記されたことは筋書き通りに運ぶことに変わりはなかったのです

 

すごいな、戦国の世を生きる女性は…

 

井伊谷に戻った直虎は、

『それでも我らは寝返るのじゃの、すべての恩を忘れ…』

 

これが、井伊の判断でした

 

今川、武田、上杉、織田、徳川、北条

戦国ほぼオールスターキャストではないですか

 

この間を井伊はどう渡るか、南渓和尚、政次と直虎と、

話はもつれて行き、井伊は絶対戦を避けるはずが、

戦の真ん中へ引きずり込まれる可能性が濃くなって行きました

 

直虎、戦のこととなるとちょっと優しさが邪魔してるような…

 

政次、南渓和尚、全面的バックアップお願いしますよ!

 

 

 

 

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