平昌五輪、残る競技も少なくなり、ちょっと寂しくなってきています…
オリンピック
古代五輪は、宗教色が強く、競技は軍事訓練に繋がるものだったとか
4年に一度、8月に開かれていたのは、近代五輪と同じです
でも冬季五輪は、今で言う夏の五輪に遅れること、28年、
様々な問題を乗り越え、今に至っているそうです
そうですよね、1924年頃なら、人工的に雪や氷を作ることは難しかったでしょうね
暖冬で氷が融けたりして、トラブルだらけの時もあったとか
競技場へ行くだけでも大変なことだったと思います
冬季の競技は、雪と氷に閉ざされる北欧などの人々の生活手段である、
スキー、スケート、ソリなどを使ってするスポーツでした、今もですが
今、競技は、当初の種目に加えスノーボードなど大変増えています
それらを生活上の移動手段としている所もあれば、
「遊び」 として浸透していると思います
その「遊び」で、人より速く滑りたい、人より高く飛びたい、
より、華麗に舞いたい…という気持ちが
オリンピック競技に持ち上げた、というのが自然な流れだと思います
人は実に、遊ぶことを考え出すのが上手だなあと思います
メダルを取ることが目標になってしまっても、
スポーツの原点は遊び楽しむことではないかな
”遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ユル)がるれ” (梁塵秘抄)
そうそう、あそぼあそぼ~♪
オリンピックになると、どうしても円谷選手を思い出してしまいます
マラソンで、3位となり、日本中の期待を裏切ったと思い込み、
”幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません”
と、遺書を残し自ら命を絶たれました
今の子供たちは、軟ではない?
いえ、昔以上に繊細?
どうなのでしょうか…
そんな時は、遊びをせんとや生れけむ…くらいに考えて元気出して!
大丈夫、生きてさえいれば!
あれま、話が重たくなりました<(_ _)>
自分は風任せに生きて来ました、目標なんて無し
そんな感じで生きていけることが目標かもしれませんね