京阪電車の中書島(ちゅうしょじま)駅で降りて
しばらく歩いたところに、寺田屋があります
この旅館は、藩士たちがよく利用していました
ここ、京都の伏見は、その頃「伏見港」があり高瀬川で、
京都の町の中心に舟で行ったり
大阪との間の水運も発達していました
2017.4.5 伏見
ただ、寺田屋の建物は鳥羽伏見の戦いで焼け、今のはその後に再現されています
坂本龍馬ゆかりの地、ということで観光客も多い所です
周りには、酒蔵がいくつもあり、その見学と合わせて訪れる人が
絶えません
2017.4.5 伏見の酒蔵
春には濠川沿いの桜並木が美しく、酒蔵に映え、
また、再現された十石船も情緒たっぷりです♪
じゃっどん西郷どん、びっくりしました
私が今まで「寺田屋騒動」として知っていたのとはまた違うことが
ドラマの中に展開されていました
それが、文久2年(1862)の寺田屋騒動
島津久光が派遣した家臣により、尊王派の薩摩藩士を粛清
あと一つは、慶応2年(1866)の寺田屋事件
坂本龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲撃され、
お龍さんの機転で命からがら薩摩藩邸へ逃げ込んだ
ですが、この事件はもう少し先のこと
幕末の重大な事件が2度も、この寺田屋で起きていたんですね
いやあ~知りませんでした(@_@;)
西郷どんの深くかかわっていた騒動は、いわば仲間打ちだったのですね
久光が、倒幕に走る薩摩藩士を粛清ということですか
西郷どんが、血気盛んな薩摩藩士を思い留まらせるため
命令に背いて下関を離れたり、
倒幕を計画している他藩の者たちと会ったり
久光は、自分勝手な行動をすると怒り心頭
結果、西郷どんに切腹の命が下ったのでした
そして、徳之島へ、
更に沖永良部島へ、
遠島また遠島で、島の人たちも、もうこの人は助からないだろう…
吹きっさらしの牢に入れられ、それでも頑なに久光からの命令を守り
地の果てで、壮絶な年月を送る
”おはんにしかできんこつが、まだあっとじゃ 生きろ”
人間は、生きよう!と思うのと、もう死んでもいい!と思うのと
命を長らえるのに、ほんとに差はあるのでしょうか…