kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん西郷どん17

2018-07-01 18:06:37 | 西郷どん

 

 

 

京阪電車の中書島(ちゅうしょじま)駅で降りて

しばらく歩いたところに、寺田屋があります

 この旅館は、藩士たちがよく利用していました

ここ、京都の伏見は、その頃「伏見港」があり高瀬川で、

京都の町の中心に舟で行ったり

大阪との間の水運も発達していました

 

                                  2017.4.5 伏見

 

 

   ただ、寺田屋の建物は鳥羽伏見の戦いで焼け、今のはその後に再現されています

坂本龍馬ゆかりの地、ということで観光客も多い所です

周りには、酒蔵がいくつもあり、その見学と合わせて訪れる人が

絶えません

 

                             2017.4.5  伏見の酒蔵 

 

春には濠川沿いの桜並木が美しく、酒蔵に映え、

また、再現された十石船も情緒たっぷりです♪

 

 

 

じゃっどん西郷どん、びっくりしました

私が今まで「寺田屋騒動」として知っていたのとはまた違うことが

ドラマの中に展開されていました

 

それが、文久2年(1862)の寺田屋騒動

島津久光が派遣した家臣により、尊王派の薩摩藩士を粛清

 

あと一つは、慶応2年(1866)の寺田屋事件

坂本龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲撃され、

お龍さんの機転で命からがら薩摩藩邸へ逃げ込んだ

ですが、この事件はもう少し先のこと

 

 

幕末の重大な事件が2度も、この寺田屋で起きていたんですね

いやあ~知りませんでした(@_@;)

 

西郷どんの深くかかわっていた騒動は、いわば仲間打ちだったのですね

久光が、倒幕に走る薩摩藩士を粛清ということですか

 

西郷どんが、血気盛んな薩摩藩士を思い留まらせるため

命令に背いて下関を離れたり、

倒幕を計画している他藩の者たちと会ったり

久光は、自分勝手な行動をすると怒り心頭

結果、西郷どんに切腹の命が下ったのでした

 

そして、徳之島へ、

更に沖永良部島へ、

遠島また遠島で、島の人たちも、もうこの人は助からないだろう…

 

吹きっさらしの牢に入れられ、それでも頑なに久光からの命令を守り

地の果てで、壮絶な年月を送る

 

”おはんにしかできんこつが、まだあっとじゃ  生きろ”

 

人間は、生きよう!と思うのと、もう死んでもいい!と思うのと

 

命を長らえるのに、ほんとに差はあるのでしょうか…

 

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