じゃっどん西郷どん、
まこち、ひったまがったあ
その人生の壮絶さと言ったら、今までの西郷どんのイメージを
バンバン壊していってます
結局、3つの島に流されていたのですね
① 最初が、奄美大島(ま、救済処置でもあるとか)
愛加那さんと結婚して子供もできたのに、
② 薩摩へ戻る
次は、藩に逆らったとして、切腹を久光から言い渡された
しかし小松帯刀の助言のおかげで
③ 徳之島へ遠島
しかし、結局更に厳しい罰が与えられ
④ 遠い遠い沖永良部島へ
今、フェリーで行くと、大体ですが、
鹿児島~奄美大島 11時間
鹿児島~徳之島 15時間
鹿児島~沖永良部島 17時間
かかるらしい
当時、どんな船だったか分かりませんが、何日もかかったのでは?
ましてや、奄美には、1月に着いてるらしいので…
想像しただけで、生きた心地がしません
でも、西郷どんはどこへ行っても、温かい人が支えてくれる
結婚もしたし、
沖永良部島では、「土持政照・つちもちまさてる」
命の恩人でした
西郷どんの人柄が好きで、尽くしてくれました
義兄弟の約束までしたんですよね~♪
西郷どんはそれだけ皆に好かれる人だったんでしょうか
沖永良部では、大変印象深い人物が登場しました
ナポレオンです
ウソです(^-^;
川口雪篷(せっぽう)
この人は、10年前にこの島に流された、薩摩藩士
ドラマでは、お由良騒動の時にいわれのない罪を着せられ遠島となった
友が呼び戻してくれると思っていたが、叶わず、酔いどれています
しかし、この人の信念を西郷どんは聞いて、びっくりした
”ある人が言うておられた
「今は異国の強さを学び、日本を異国に負けぬ国にする時、
決して異国と戦うてはならぬ」と”
西郷どんは、斉彬の言葉だと分かった
また、雪篷は「大革命の英雄」ナポレオンが大好きで、
子供にナポレオンの素晴らしさを話したりもした
文久2年(1862)の生麦事件、それに端を発して起きたのが
文久3年(1863)薩英戦争、これはわずか2日で終結した
薩摩は、この戦争を期に、近代化の必要性を感じ、
開国論へと転換していくが、その時、西郷どんの存在を認めたのか
薩摩へ呼び戻されることとなった
西郷どん、愛加那さんのために、残ってほしかったなあ~
西郷どんが、安らかな日々を送ることが出来るのは島だと思ったけど…
島の暮らしは、一時の仮住まいでしたか…
西郷どんの大きな体には、大きな志があるんですね…