kohは今日も元気です

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鎌倉殿の13人 第41回 義盛、お前に罪は無い

2022-11-06 13:05:43 | 鎌倉殿の13人

 

 

それなら、誰の罪?

 

候補

 

後鳥羽上皇

藤原兼子

慈円

泉親衡(実は源仲章)

北条義時

三浦善村

和田胤長

和田義盛(一旦、挙げます)

或いは、

 

三谷幸喜

 

思いつくままに、言うならば…

 

♯後鳥羽上皇

閑院内裏の修復を鎌倉にやらせる

これは、気に入らない義時を困らせるに充分な沙汰ですよね

兼子さん、慈円さんは同じ穴のムジナだと思います

 

 

♯泉親衡(源仲章)

鎌倉御家人たちは、修復工事を突きつけられて大憤慨の中

付け入ってきたのがこの人

北条を討とうと皆をあおる

和田義盛は、皆から先導者にまつり上げられてしまった

ところが、泉は混ぜ返すだけ混ぜ返して、姿を消した

 

大江広元は、この不可解な事件を鑑みて

これには、京の香りがしてくる

都が放った人物だろうとにらんだ

 

♯和田義盛の息子や一族

甥の胤長は、泉親衡に翻弄されてしまったのが悪かった

和田一族は北条を敵とする気持ちは、かつてより持っていたのだろう

義盛さん、まったく罪は無いとは言い切れない…

下手したかな

 

 

♯三浦善村

周りの御家人もこの人は風見鶏的な人と見ているようだし

まして幼なじみの義時さえ、分かっていながら手の内を明かすことも多々あった

そういうところを、善村もしれっとすごす

どちらも、上手に利用するかにかかってる気がする

今回も、和田方と北条方間を、ひらひら飛び交う善村ですね

どちらが自分にとって得なのか!ここなんですね善村さん

滅私奉公はしません

 

義時

和田義盛を警戒しだしていた

倒してしまいたい、だから戦する大義名分がほしい、頼朝のやり方だ

 

義時は鎌倉のトップとなりすべてを牛耳たいが

近頃とみに実朝の内に秘めた強さを見、まずい、邪魔だと感じている

 

息子泰時のような優しい、無垢な心は今は、ないです

 

 

 

「和田合戦」としても伝わるこの戦は

鎌倉で起きた中で一番激しい戦いだったという

 

あの、さわやかな若宮大路

一度だけ行きましたが途中までしか歩かなかった

もっと歩いていたら、海にたどり着いてたとは、残念です

 

で、誰の罪?

 

 

今回、びっくりして感動して見直したのが

大江広元

 

持ち前の京文化を鎧に、情報の多さを武器に理詰めで政に参加した

鎌倉殿の13人のひとりと思っていましたが

今回逃げ回る中、実朝が御所に忘れてきたという源氏の頭領の証の

髑髏

すでに和田勢が攻め入って来た中を、大江広元は鶴岡八幡宮へ取って返した

広元は、兵とかち合った

 

ああ~ここで広元さんは、最期なんや~と思いました

刀を持って太刀打ちするところ、見たことないですし

そう思っていました

それが、なんと!

なんと美しい立ち回り (;´∀`)

あっさり、やっつけましたね~

そうか~京に居る時から文武両道、極められたのですね~

ええもん、見せて頂きました

 

 

義盛は、由比ヶ浜で負けた

巴御前はその後、どうされたのだろう…

 

 

和田合戦を勝ちとった義時ですが、心は穏やかではない

実朝がどんどん冴えてきましたから

義時は怖いのでしょうか、追い詰められている

確かに小四郎、気の弱そうな青年でした

 

鎌倉の不穏に追い打ちをかけるよう大地震が起きたようですが

誰の罪?

三谷さんは、もう少し泳いで頂こう(^-^;

 

 

 

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