それなら、誰の罪?
候補
後鳥羽上皇
藤原兼子
慈円
泉親衡(実は源仲章)
北条義時
三浦善村
和田胤長
和田義盛(一旦、挙げます)
或いは、
三谷幸喜
思いつくままに、言うならば…
♯後鳥羽上皇
閑院内裏の修復を鎌倉にやらせる
これは、気に入らない義時を困らせるに充分な沙汰ですよね
兼子さん、慈円さんは同じ穴のムジナだと思います
♯泉親衡(源仲章)
鎌倉御家人たちは、修復工事を突きつけられて大憤慨の中
付け入ってきたのがこの人
北条を討とうと皆をあおる
和田義盛は、皆から先導者にまつり上げられてしまった
ところが、泉は混ぜ返すだけ混ぜ返して、姿を消した
大江広元は、この不可解な事件を鑑みて
これには、京の香りがしてくる
都が放った人物だろうとにらんだ
♯和田義盛の息子や一族
甥の胤長は、泉親衡に翻弄されてしまったのが悪かった
和田一族は北条を敵とする気持ちは、かつてより持っていたのだろう
義盛さん、まったく罪は無いとは言い切れない…
下手したかな
♯三浦善村
周りの御家人もこの人は風見鶏的な人と見ているようだし
まして幼なじみの義時さえ、分かっていながら手の内を明かすことも多々あった
そういうところを、善村もしれっとすごす
どちらも、上手に利用するかにかかってる気がする
今回も、和田方と北条方間を、ひらひら飛び交う善村ですね
どちらが自分にとって得なのか!ここなんですね善村さん
滅私奉公はしません
義時
和田義盛を警戒しだしていた
倒してしまいたい、だから戦する大義名分がほしい、頼朝のやり方だ
義時は鎌倉のトップとなりすべてを牛耳たいが
近頃とみに実朝の内に秘めた強さを見、まずい、邪魔だと感じている
息子泰時のような優しい、無垢な心は今は、ないです
「和田合戦」としても伝わるこの戦は
鎌倉で起きた中で一番激しい戦いだったという
あの、さわやかな若宮大路
一度だけ行きましたが途中までしか歩かなかった
もっと歩いていたら、海にたどり着いてたとは、残念です
で、誰の罪?
今回、びっくりして感動して見直したのが
大江広元
持ち前の京文化を鎧に、情報の多さを武器に理詰めで政に参加した
鎌倉殿の13人のひとりと思っていましたが
今回逃げ回る中、実朝が御所に忘れてきたという源氏の頭領の証の
髑髏
すでに和田勢が攻め入って来た中を、大江広元は鶴岡八幡宮へ取って返した
広元は、兵とかち合った
ああ~ここで広元さんは、最期なんや~と思いました
刀を持って太刀打ちするところ、見たことないですし
そう思っていました
それが、なんと!
なんと美しい立ち回り (;´∀`)
あっさり、やっつけましたね~
そうか~京に居る時から文武両道、極められたのですね~
ええもん、見せて頂きました
義盛は、由比ヶ浜で負けた
巴御前はその後、どうされたのだろう…
和田合戦を勝ちとった義時ですが、心は穏やかではない
実朝がどんどん冴えてきましたから
義時は怖いのでしょうか、追い詰められている
確かに小四郎、気の弱そうな青年でした
鎌倉の不穏に追い打ちをかけるよう大地震が起きたようですが
誰の罪?
三谷さんは、もう少し泳いで頂こう(^-^;