前回すねえもんの、はりつけの刑は強く印象に残っています
その犠牲があって、長篠城の奥平の軍は危機一髪、救われそうですね
奥平信昌
織田軍と武田軍、どちらも睨み合い動きがないまま
二日が過ぎた
皆じりじりいらいら
すべては信長が握っているからには、
家康は勝手に動けない、息子の信康も苛立ちだした
德川家臣団は合議の上、
家康、信康、酒井忠次の三人で織田の本陣に話に行く
陣では羽柴秀吉、佐久間信盛ら織田の家臣と碁を打っている
信長は進軍するつもりがない
したければ、徳川軍だけでせよとのこと
夜中に、長篠城の裏手の鳶ヶ巣城から武田軍に奇襲をかける
そうなれば武田は止む無く前進する
そんな策を家康は提示した
誰がやる
結局徳川の家臣、酒井忠次がその役目を負う事となった
夜中の雨の中、
酒井忠次(えびすくいダンサー)の兵達によりかろうじて攻略
武田勝頼には敵のこの動きの意味が分かっている
父信玄ならどうする、勝ち目のない戦は引くだろう
だが今は、それに背くと言う
「だから父は天下を取れなかった」
「目の前には信長と家康、この様な舞台は二度とない
命永らえたいものは逃げるが良い
戦場に死して名を残したい者は今日より相応しきは、ない」
虹が見え、勝頼は吉兆の印ととらえた
武田軍は雄叫びをあげ、風の如く進軍
片や、信長は得意げに言う
「よう見ておれ、これからの戦を」
それは、鉄砲隊を大勢配備する戦法でした
何重にも組まれた馬防柵に沿って立ち
柵越しに、千人ほどの鉄砲隊が
一気に撃つ
撃った兵は後列に下がり、弾を込めたりして次の射撃の順番を待つ
同じように二~三列目の兵も動く
三千人ほどの鉄砲隊というから
多分千人ずつ程が撃っては下がり、撃っては下がりを繰り返す
弾を込め火縄の準備もと、鉄砲隊は忙しかったでしょうね
一体どのくらいこれを繰り返したのだろう
その頃の鉄砲は火縄銃、信長はどれ位の銃を手に入れたんでしょうか
やはり、恐るべし信長です
武田軍は馬防柵に達する前に、ばたばたと倒れた
馬上の山県昌景、討ち死
率いていた赤備えの軍も殆どが鉄砲に倒れた
「武田勝頼、見事なり」
信長はそう言い残し茶臼山の陣を去った
信長のつぶやいた言葉が深い、なぜ見事なのか
「天下布武」をスローガンに戦国の世を生きた知将がゆえに
德川信康は、父家康に似て優しい男の子でした
そんな子に
「これが戦でございますか これは、なぶり殺しじゃ」
と言わしめるほどの戦禍
信康は、心をずたずたに切られたようでしたが…
もう德川は織田の家臣となるしか方法はない
そう決断した家康
早速信長の命に従い、二俣城、武節城への攻撃に成功する
これで戦が終わる訳はない
越後の上杉、相模の北条、仙台の伊達
信長の野望は膨らむばかり
心のやまいが心配な信康ですが、自ら武勲を自慢している
あの設楽原での体験以来 トランス状態になったのか
五徳に癒されることはまずない、 と思う
優しい子は優しいままに、そうでない子も優しさを持っていたい
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