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思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第20~21回 岡崎クーデター~長篠を救え!

2023-06-11 17:38:46 | どうする家康

 

天正三年(1575) 岡崎クーデター

 

日本で初めて起きたクーデターは645年の「乙巳(いっし)の変」

”むしころされたそが…” 

などと語呂合わせで年号を覚えました

 

どうする家康の中の「岡崎クーデター」は「大岡弥四郎事件」であり

目指すは三河岡崎城

狙うは徳川信康、そして瀬名

そんな計画を弥四郎や家臣たちが立てていた

 

と「どうする家康」では描かれたが、実のところ

もっと複雑な駆け引きというか、関わった人物も存在し

襲われた張本人の瀬名や信康もクーデターの陰にいたとか

 

沢山の古記録や古文書に出てくるらしいですが、私の力量では何ともし難く

 

…らしい?  のレベルで「どうする家康」のあらすじとちょっとの感想文

まるで夏休みの絵日記的なものにて、お目汚しの時間を

 

 

弥四郎は武田方と通じていたのだが、徳川方にクーデター情報が洩れ

本多忠勝、榊原康政、石川数正、井伊虎松らが間一髪で信康、瀬名を救った

 

なぜ、大岡弥四郎たちはクーデターを起こしたか

 

弥四郎 「あちらの船とこちらの船を見比べ武田の船がよいと思った

家康が信長にしっぽを振る限り、戦は終わらない

我らを死にに行かせるまやかしだけ

どうせ死ぬのならいい夢見てから死にたい

これが皆の本当の心じゃ!」

この人達、極刑に処されたようです

実在の人物のようです

ドラマに登場するのは見たこと無かったですが

名もなき人が大きな使命をもって生きて

どれだけこうして命を散らしたか

こうして知ったのですから、せめて

その勇気を称えると共に安らかに眠っておられることを願います

 

 

この弥四郎とは見方の違う者がひとりいた

井伊虎松

家康は不思議だった

自分を憎んでいた虎松がなぜ、徳川に仕官してきたのか

弱い当主と自他共に認め、民らは笑っているというのに何故

 

本人に聞いてみた

虎松「だからこそでございます

武田みたいに民を恐れさせる殿様より

民を笑顔にする殿様の方がずっといい

家康様にこの国を守ってもらいたいと皆願っている

 

(へえ~そういうことで家康の家臣になっていたのかと

直虎の時にそこのところははっきり分からなかったもので

 

あまり勉強しなかった私は、こんな風に好きなテレビで

辛うじて、歴史に首を突っ込んでおります

 

あのドラマ、このドラマ、こんなドラマも受け入れる

脚本家の目を通すと、人物の色も七変化ではありますが

シャッフルして好きなように鑑賞しています♪)

 

そして虎松、自分自身を売り込む

 

「由緒ある家臣が居た方がいいでしょ

井伊家のおいらとか(^^♪」

井伊谷の城主井伊直親の息子ですしね

直虎の養子ですしね

 

 

家康の胸を打ったんでしょうね

一刀を渡し、そばにつくように言った

そして武田を迎え撃つため吉田城へとおともする

どうやらこの子、口八丁手八丁ですね

数年前の大河「おんな城主直虎」の時は登場の機会が少なかった

(菅田将暉さん演ずる)

どうする…では、是非とも沢山登場して下さいね

 

あら、戦いのさ中、武田は突如奥三河の方へ動いた、どうするの

 

德川家臣は気付いた

「生けにえを狙いに行ったんじゃ」

危うし 長篠城!

 

 

*第21回 長篠を救え!*

 

家康の娘 亀姫

 

 

武田軍がすでに長篠城を取り囲んでいだ

德川方の戦の手口はもう、武田勝頼に知られてるんでしょうね

歩き巫女もいるし、

家臣の中には武田と徳川の間を

揺れ動いて、裏切って

勝頼の代になっても、あの金の粒が誘ってるんでしょうね

 

ここには奥平信昌が籠城している、兵は五百あるか無しか

この方、元は武田の家臣なのだ

離反したリスクを背負い極限の状態で家康の援軍を待っている

水はない兵糧もない、傷つく者は増える一方

 

家康が動いた

酒井忠次、鳥居元忠、井伊虎松を連れて

ただ、長篠ではなく岡崎に

 

長篠から信昌の援軍頼むの書状を持って

岡崎に来た毛むくじゃらの男がいるという

どうやら武田の目を欺くため川に潜って渡り長篠を抜け出たのだ

 

(強右衛門自ら強右衛門のうたを歌ってましたね、正に

シンガーソングライター♪)

 

 

奥平を助けるには信長に援軍を頼むほかはない、と結論を出した家康

 

援軍のこと

亀姫を奥平へ嫁がせること

清須以来の条約を破棄とのこと

岡崎を引き払うとか五徳を連れ帰るとか

難題が山積みです、どうなんだい家康さん

 

岡崎にやって来た信長は怒り心頭

 

その時、亀姫が前に出た

 

「お怒りをお静め下さいませ

亀はもうわがままは申しませぬゆえ

仲直りしてくださいませ

亀は奥平殿のもとへ喜んで参ります

 

瀬名も、言葉を添えた

「わが夫は信長様の臣下を拒むものではございません

ひとまずこの事は脇に置いて長篠を救うことを先になさるのは

いかがでしょうか」

 

横で聞いていれば、ひやりとするような物言いと思ったのですが

こんなもんでしょうかね~下手に出ませんね、瀬名さん

 

信長は、余興だと亀にやさしく声をかけた

「無論、長篠は助ける」

言いましたよね~信長さん

信じられないのですこの流れで、この対応はびっくりです

ひょっとして信長さん、女性に弱いの、優しいの?

 

でも、ひとまず助かった

 

亀姫は、奥平信昌の手紙を持って長篠から来た家臣に言った

「鳥居強右衛門どの、ようございましたな

奥平殿にお伝えください

どうか持ちこたえて下さいませと

亀は奥平殿の元へ参るのを楽しみにしております

毛むくじゃらでも構いませぬと」

 

長篠へ一刻も早く良い知らせを届けようと

すねえもんは

川に潜り泳ぎ抜き、武田の陣を突破したが

陸に上がったところで武田の兵に捕らえられた

 

武田勝頼の策は、こう言わすことにした

 

「德川の助けは来ん!

わしらは見捨てられた!」

 

後方で勝頼が睨んでいるからどうしようもない

でも、強右衛門は亀姫のあの温かい顔立ちが目に浮かび

思い直した

 

「うそじゃ、助けは来る

それまで持ちこたえろ!」

 

 

捕らえられ、磔の刑になる

 

最期の言葉となったのが

「殿~徳川の姫君様はなあ~

麗しい姫君様じゃ、ようごぜえましたなあ~

大事にしなされや~」

 

ええ人やったんやなあ~すねえもん

 

記念館には、この様に磔の時のすね衛門の姿が掛けられている

 

地元では、今は「鳥居強右衛門戦国街道ラン」

と称し、65kmランが行われると言う

川は渡らない、ですよね

もうじき進化系のマラソンで水泳も組み込むかな?

潜水ですよ

 

岡崎クーデターの「大岡弥四郎」も

長篠を救おうとした「鳥居強右衛門」も

実在人物なんですね

 

上に立つ人の采配、今も変わらないですね

 

 

 


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