kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

鎌倉殿の13人 第3回 挙兵は慎重に

2022-01-30 15:20:59 | 鎌倉殿の13人







ラブストーリーは突然に、終る人あり、始まる人あり

八重の嫁いだ家と、北条の館は距離は少しあるが

真正面に見渡せるところにあった

八重さんを密かに思う義時は、時々見ているようで

一方八重は、頼朝を思い悲しそうな眼差しで

北条の館を見つめているようだ



ある日山伏の出で立ちで、源行家という者が頼朝を訪ねて来た

要件は以仁王が平家打倒を掲げた

よって諸国の源氏も加わるようにとのこと

頼政卿も加わるとも

頼朝は次の日、挙兵はしないと告げた

義時にだけ言ったことが

「兵を挙げるからにはこの手で清盛を討つ

わしが源氏の頭領として采配を振るう」

源頼政が以仁王の加勢のため挙兵しても人はついてこない

頼政卿にはつけぬ

そんなことを言って挙兵しなかった頼朝が

驚くほど早く、ほくそ笑む日が来た

以仁王の乱で、頼政自害、以仁王落命

数日で平家が鎮圧してしまった

ん~、仏様の前でにたっと笑った頼朝

慎重に、先を読んだからなのか

単に、ラッキーだったのか

運も実力、幸運を引き寄せる力があるのかなこの方

どんな性格なのだろう…




以仁王の乱のあと、

平家寄りの山木兼隆が伊豆の国司代理のような者として就任した

そこへ北条義時と父で挨拶に行ったが

何とも侮辱的な扱い

見ていても腹が立ちました!




頼朝に後白河法皇からの一通の書状が届いた

平家打倒の挙兵を迫る書状

だが、頼朝は必ず勝てる証しがないと拒んだ

その時、義時は

「食えます」

あ、間違えました

「勝てます」

義時は先日父と行って散々な思いをした国衙(こくが)で

捨てられた沢山の木簡に書かれた事柄から

どれだけ兵を集められるか目論んでいたのだ

しかも、敵方のことまで予想していた



昔の人は、見た夢はお告げなのだと信じたそうです

これで、法皇のお告げと院宣が整ったと

頼朝は平家討伐のため挙兵すると宣言したのでした

ちょっと待ってください✋

義時の打ち出したデータ

これ大切ですよね、頼朝の決断の後押しになったと思います

ただ、戦に進めた、という事から見れば

後の世の者には頂けませんが

戦が人生みたいな世に居た人達には

「吉」なデータだったのでしょうね


合戦は控えめに




コメント    この記事についてブログを書く
« 鎌倉殿の13人 第2回 佐殿の腹 | トップ | 2022年2月2日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿