kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

井伊家始祖ゆかりの井戸(浜松)

2017-12-08 12:54:44 | おんな城主直虎

 

 

浜松市気賀で見学した、ドラマ館 ↕

 

井伊の井戸のある森に佇む小野政次

 

大河ドラマおんな城主直虎、

言うまでもなく 「井伊家」 のお話ですが、

この井伊という名前はいつごろからあったのかと思いました

 

 

さあ、日本人のおなまえッ!とでも

 

 先ずは単漢字の持つ意味を、

 

渭(い):ゆく、流れゆく。 渭水という名前の川が中国にある(黄河の支流)

京都の賀茂川も渭水の別名あり

 

井: 井戸のこと、人の集まるところ


伊: 杖を持ち、神を呼び寄せる人、すなわち聖職者を意味する

ゆえに、

☆ 水のある所にリーダーがいて、人々が集まってきた

というようなことになりますか

 

そして、井伊家ですが、

 

奈良時代  713年(和銅6) 

 

昔は「渭郷」という名前で出ています(^^♪

それを「渭伊郷」と改めたそうです

渭伊を→井伊と書く様になりました

 

この頃から井伊の名が歴史に刻まれているようです 

 

平安時代  1010(寛弘5)

 

井伊氏祖共保公が、八幡宮の御手洗井の中より出生した

と、あります

この伝説の赤ちゃんが井伊共保公で、井伊家の元祖登場です


1032(万寿9)


井伊共保、井伊谷城を築城 遠江を治める


今、井伊谷城跡は城山公園として整備されているそうですが…


今年の春、浜松市地域遺産センターの方が、”上まで登るの、きついかな~”

とおっしゃったので、時間も押してるし、登るのをやめました

今思うに、無理してでも登っといたらよかったわ~

でもほんとに急勾配の山道みたいです


この地域遺産センターの後方の山の頂に、「井伊谷城跡」があるのだと思います



1093(寛治7)

井伊共保、84歳で没、八幡山地蔵寺(今の龍潭寺)に葬る



井伊の井戸から生まれた、或いは井戸の側で泣いていた赤ん坊

そんな伝説の残る、その井戸の今の姿は、

 


 

龍潭寺前の車道を渡り、細い脇道を入ると田畑がばあっと広がっていました

この田畑の真ん中に井戸は有りました


立派な白壁の塀、門構え

二本の松の木


門の奥のこんもりした木は井伊家の家紋にもある 「橘」


古りた石の囲いが過ぎた時間を物語っているようで…



まだ水は涸れてはいないような

一部新しく補修されていますが、底の方は昔の石垣のままか…


 

現在は静岡県浜松市北区引佐(イナサ)町井伊谷、

ここの皆さんに、代々大切に守られてきたのがよく分かります


井伊共保出生の井戸

ふりかえれば、なにか迷うことあれば、


ご先祖様はここから~?


迷っている、ではなく酩酊ですか、南渓和尚(^_^;)


直虎は、何度もここに来て亡くなった者のために観音経をあげてましたね

うっぷん晴らしも多かったけど

あ、般若湯も飲んでた…



 

この右の橘の木、直親の象徴でしたね

政次はたしか、直親に何かを報告していました

なんでしたっけ?

直虎が気賀の城主になったことかな?

この時は珍しく、笑顔でした♪

 

万千代、万福は、あなたの教えをしかと携え、

井伊をつないでいってくれてますよ、政次さん

  


皆、手を合わせ拝んだり、何やらブツブツとつぶやいたり、

大声で怒鳴ったり、それぞれの心のよりどころになっていましたね


そして、最近では



万千代も身なりを整え殊勝な顔して、いつでしたっけ?

一万石を殿より賜った時でしたか

ま、あとでおとわと口げんかしてましたけどね


その後、二万石を賜るという知らせが、井伊谷、龍潭寺にも届きました


織田信長とも対峙した万千代、万福

大きな刺激を受けたことと思います 

戦国の世を生き抜くすべの、またひとつの形を見たことでしょう

 

今に伝わる歴史に、はっきりと印されている

徳川四天王のひとり、井伊直政となっていきます

 

直虎は、ある時は前に出て、万千代を促し、

またある時は、そっと傍から見つめる

いずれ、子供は親を越えて行きます

関われる時も、あとわずか…

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」


果して、どんな風に、どこまで描かれるのか、

想像が付きません、だからこそとても興味深いです♪

 

あと、10日と17日の、2回

 

楽しみに待ちます

 

追伸:井伊谷の井戸には井伊直弼の和歌を刻んだ歌碑がありました

浜松へ来た折に詠んだ歌だとか

 

 

王き以徒る岩井の水能そこ清しくもり那き世乃影そ見えつゝ

(わきいつるいわいのみずのそこきよしくもりなきよのかげそみえつつ)

(間違っていたらごめんなさい)

 

この頃は徳川の世の安泰が続いていたのでしょうね

 

 


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