kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

俳句雑誌が届きました

2016-10-07 10:39:27 | 俳句・和歌

 

9月は定期的な俳句会は中止でしたが、

 

句集が郵送で届きました。

 

待ちわびて、早速封を開けました。

 

今回も恥を忍んで。

 

7月に提出した季節外れの句ですが…

 

 

 

直線に縫ひし浴衣をたをやかに

 

参道の玉砂利乾く日の盛

 

家移り最後に外す古すだれ

 

揺れ揺れてどよめきの中鉾進む

 

 

今また15日締切りに向かって悪戦苦闘中です。

 

ほんとに、浮かんでこない…才能なし…(~_~;)

 

 

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きのうの夜空

2016-10-04 15:56:54 | 四季折々に

 

 

昨日は夕焼けを久しぶりに見ましたが、

 

その後、南西の低い空にこれまた久しぶりにお月さんが見えました。

 

三日月にも満たない様な…

 

 

 

 

よく見ると、お月さんと並んでひときわ明るい星が左の方に、

 

どうやら金星です。

 

もうすぐ、沈んでしまいそうな低い空に見えました。

 

このところ雨がよく降っていましたから、久しぶりの空の様子でした。

 

でも、また大きな台風が近づいているのですね…

 

 

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ノーベル賞・大中小

2016-10-04 14:43:56 | ニュース

 


今年また日本人のノーベル賞受賞者がおられました。


大隅良典さん、


お鬚の印象的な、実にノーベル賞のムードを醸し出しておられる方と思いませんか?


今までの受賞者、名前を見ていて気付いたのですが


苗字に「大・中・小」の文字のある人が多いような…


1994年の大江健三郎さん辺りから(敬称略)

小柴昌俊

田中耕一

小林誠

山中伸哉

中村修二

大村智

2016年の大隅良典まで


22年間、15人中、8人、ほぼ50%が


だからどうなん?


と言われると、


別に~

 

としか言えないのですが…


とにかく、日本人すごい!


嬉しいですね



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夕焼け

2016-10-03 18:15:49 | 四季折々に

 

 

久しぶりの夕焼け

 

湖面が夕日で赤く染まっています。


この分だと、きっと瀬田の唐橋辺りも赤く染まっているはずです。


「近江八景 勢多の夕照・せたのせきしょう」


ここからは、見えません、橋も瀬田の唐橋ではありません。

 



ひとつ前の写真から向かって右にカメラをずらしました。


比叡山です。


山頂からの眺めはどんななのでしょう。


 


明日、晴れたらいいね


 

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真田丸船賃六文波枕 十九

2016-10-03 01:47:07 | 真田丸

 


九度山での蟄居生活から11年、昌幸は病死しました。


最後に叫んだ言葉が、親方様(武田信玄)。


九度山を降りて、上田に帰る夢を抱きつつ…


秀吉に「表裏比興の者」と言わしめた昌幸ですが、

それは、死ぬか生きるかの戦国時代に真田を残すためという

一本の筋が通っていたと言えます。


 二度にわたる上田合戦で、徳川の大軍に勝利。

その間、織田、北条、徳川、上杉、豊臣など、次々と主君を変える。

など、知略を持って真田を守ってきた。


あきれるほど、憎たらしい。

でも憎み切れないんですよね。

大博打じゃあ~の口癖もあっけらかんとして。

確かに、「真田」は残りました。


九度山で生活する真田の皆さんに比べ、昌幸の奥方の薫様。

江戸で、けっこう気楽に過ごしておられたような。

でも、これで良かったのかもしれません。


残った信繫、台所事情が大変な中、様々なコトを考えておられます。

ひょっとして、「武士の家計簿」も付けてたかな、んてね。


「真田紐」 と言うものを考え出したのですね。

サナール転じて真田紐。


番組の後の紀行集の時映った真田紐と比べると、ドラマの中の真田紐は

折り方も荒く発色も地味でしたが、とても味があって、私も

「一本おいくらですか?」

なあんて、聞いてみたかった。

ね、佐助さん♪


真田丸、私は楽しみにしてる事があるのです。


それは、ドラマのそこここに散りばめられた、会話の中に

歴史的会話に混じって、その時代、こんな事は言わんやろ~

と言うようなセリフです。


例えば、九度山に訪ねて来た信之に、信繫が父の形見の

戦略の奥義を記したものの束を見せた時、

理解不能的なマークばかりで書いてあることに

『全部こんな感じか?』

『全部こんな感じです。』

兄さん、弟さん、真面目な顔してしれ~っと言うなんて。

真田紐検査後の佐助も。


 


貧しいながらも、戦もなく常に家族が一緒に暮らしていられる、

そんな九度山の生活は、信繫、人生の中で

いちばん穏やかな時だったのではないでしょうか。

 

武田信玄が亡くなり、迷走を始めた頃、その渦中で信繫は、

たとえ領主が変わろうとも、信濃の山々は変わらずそこにある、

その景色が好き…

九度山より信州の方がいいに決まっているけれど、

束の間の安らぎを九度山での暮らしの中で、感じていたのではないかと。


息子との険悪な感じも解消したのですし。


そんな時に、あの編み笠の武士は何を伝えに来たのか?


宇喜多さんということは豊臣方?

いったい誰が使わした者なのか?

まさか、蕎麦がき買いに来たわけではないだろうし…?

また来週見ましょ♪


 

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