【天風録・12.25】:画伯とその息子
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録・12.25】:画伯とその息子
呉市下蒲刈町の三之瀬御本陣芸術文化館にコレクションの常設展示がある。京都洋画界の大家、須田国太郎(1891~1961年)に親しみを感じるのは瀬戸内に縁が深いからだ。戦後、広島県にも何度か写生に訪れた
▲スケッチすら禁じられた戦時下の縛りが解け、須田画伯は尾道、竹原、呉などを熱心に回った。助手代わりに同行したのが少年時代の長男。彼が空き時間に駅や列車を見学し、鉄路に親しんだことが後の人生を決める
▲93歳で旅立ったJR東海初代社長、須田寛さんのことだ。国鉄に入る原点が父との旅だという逸話をじかに伺った。鉄道界の大御所の知己を得たのは画伯の作品がある下蒲刈に彼が通い、画材など遺品も託したからだ
▲JR呉線の話になった折、駅名をすらすら口にした。風早、安浦、安登…。全路線と駅は国鉄時代から暗唱していると聞いた。かつて「青春18きっぷ」などのアイデアを実現した手腕の源泉は鉄路への深い愛着だろう
▲国鉄の分割民営化から37年。軌道に乗ったJR東海がリニア建設に突き進む一方、各地の赤字線は危機に直面したまま越年する。何をどうするにしても、須田さんのような鉄道愛があってこそと思う。
元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】 2024年12月25日 07:00:00 これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。
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