夕焼けはよく撮るのですが、朝に弱い私が朝焼けと出会えるのは、通院の日か、ディサービスのひです。いつも通りに起きていたら、お迎えの時間に間に合わないからです。
この日も、お天気はどうかしらと外を見ますと、日の出前の朝焼けが待っていてくれました。
東から南の方に魚のしっぽのように、雲が伸びて焼けていました。
南の方には川霧のような雲の帯が町を覆っていて、ついカメラを向けてしまいました。
12月14日撮影
夕焼けはよく撮るのですが、朝に弱い私が朝焼けと出会えるのは、通院の日か、ディサービスのひです。いつも通りに起きていたら、お迎えの時間に間に合わないからです。
この日も、お天気はどうかしらと外を見ますと、日の出前の朝焼けが待っていてくれました。
東から南の方に魚のしっぽのように、雲が伸びて焼けていました。
南の方には川霧のような雲の帯が町を覆っていて、ついカメラを向けてしまいました。
12月14日撮影
10月の終わりと、11月の初めに白内障の手術を受けて、術後の定期的な検診を、昨日で終わり気分的にも
解放されたような日でした。
町のかかりつけの眼科医院への紹介状を貰ってまずはほっとしました。
タクシーを待つ間に周りの風景を撮りました。
雑木林の木々は緑から茶色に変わって冬景色になっています。
季節の移ろいを感慨深く思います。
近くの山も遠くの山も、華やかな紅葉はないものの、秋から冬へと衣替えです。
足さえ悪くなかったら向こうの陸橋をとんとんと歩いて、電車を使って帰れるのになあと
ここに立てばいつもそう思います。
骨折の時、腸閉塞の時、2度は救急車での搬送、そして今は目の手術と、お世話になった南和医療センター
ですが、なるべくなら再びお世話になるようなことが無いようにと日々の暮らしに十分気を付けなければと
つくづく思いながら、センターを出ました。
真冬のような日になって寒いです。
上の画像は、過日11月21日のものです。
金剛山と葛城山、そして病院の周りの景色に、少しでも季節の移り変わりが見られるといいなあ、と
思いながら迎えのタクシーを待つ時に写しました。
少し黄色が目立つだけで、テレビやほかの人のブログで見るような紅葉や黄葉は見られません。
ときめくようなそんな景色は、今の私には見る機会がないので寂しいものです。
それでも、今見える景色が以前よりは鮮やかで、明るいものになっているのは事実として喜んでいます。
日の出が随分遅くなってきたので、早起きが苦手の私にも、日の出前の高見山と対面する
機会が与えられるようになりました。
何より嬉しいのは、部屋の中から朝焼けが見られることです。
太陽は南に方に顔を出してくれるので、、これも部屋から見る日の出になります。
朝起きて、今朝は何処から出てくるかしらと思って、窓のカーテンを引く時ワクワクします。
今日も通院でした。
町のかかりつけ医院へ検診とお薬を貰いに行ってきました。
受付の窓の下に、ハロゥインの大きなカボチャがありました。
スマホで撮ったのをPCに移し方が分からなくて、恥ずかしながら家に帰ってから
カメラでスマホを写しました。
こんなのも待合室にありました。
小さいので何か分かりません。
おとぎ話の⒈シーンのようです。
今夜は十三夜の月で、綺麗です。
十五夜の月見もしないと、片見月と言って、昔から縁起が良くないと言われているそうです。
天気予報のお姉さんが言っていましたが、私は初めて知りました。
十五夜の月は病院の窓から見れればいいなあと思っています。
カメラには残せないでしょうから、どなたか撮影したら見せてください。
夕方、窓の外が何か騒がしいので、そっと開けてみました。
なんと電線に雀がいっぱい並んでいます。
電線は5本なので、まるでスズメは音符のようです。
道路を車が通ったりしたら、きっと飛び立って終うだろうと、すぐにカメラを持って来て、2枚ゲットしました。
家にじっとしているだけの私にとっては、たとえ雀であろうと、ダイサギやシラサギであろうと、雲や
月や太陽であっても、一人暮らしを楽しませてくれる友達のようなものだと、こんな歌を添えてみました。
金子詔一 作詞 作曲 ダ・カーポ 唄の「今日の日は さようなら」です。
いつまでも 絶えることなく 友達でいよう
明日の日を 夢見て 希望の道を
空をとぶ 鳥のように 自由に生きる
今日の日は さようなら またあう日まで
信じあう よろこびを 大切にしよう
今日の日は さようなら またあう日まで
夕焼けを見送って、雀たちにサヨナラして、小さな幸せを感じた日でした。