カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

長谷寺・2

2007年11月30日 | ☆ ふるさと・大和



長谷寺の山門から本堂まで登廊になっているのは、牡丹の頃の写真でもよく見られる。
登廊は三つ折れになって本堂に続く。
この石段の数は399段ある。(数えたことはないが・・・)


道明上人御廟塔の碑 道明上人御廟塔
この登廊の登り口の右側に、開祖・道明上人の御廟塔が建っている。
何回となくこの登廊を登って本堂にお参りしたが、ついぞ気が付かなかった。
686年道明上人が、天武天皇のために「銅版法華説相図」を長谷山西の岡(元長谷寺)に安置したことにはじまる。



蝋梅の木に実がなっている 蝋梅の種
登廊の一折れ目のところで、登廊の外に出て、長谷寺の木々の話を聴いた。
すぐ頭の上にまだ青々とした木が黒い実をつけていた。
「これは何の木でしょうか」の先生の質問に誰も答えられなかった。
春の一番早い時期に香り漂うあの蝋梅なのだ。
透き通るような黄色い花は誰も知っているが、花の時期が過ぎると木の葉は、忘れられた存在であることは確かだ。
それが今黒褐色の実をつけている。
木の下をよく見ると、光沢のある茶色い実が沢山落ちている。
ドングリのように袴を付けていないので、砂利の中では、教えてもらうまで気が付かなかった。



本堂入口の吊灯篭 真上の天井の中に鐘がある
登廊を登りきって、左の本堂への廊下の、初めの吊灯篭の天井部分が板のないのにも今まで全く気がついていない。
見上げると、そこには釣鐘の下の部分だけが見える。
画像をかなり明るく加工しなければ出てこなかったが、肉眼では、もっとはっきり鐘であることが分かる。
なぜこのような造りになっているのだろう。
きっと意味があるに違いない。
今のところ、この鐘の存在を知った初めての事だったので記録しておくことにした。



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マウスオン・ワンクリック3画像

この紅葉を見ながら、この屋根の下の休憩所で昼食にした。
どんな美味しいお弁当よりも、ご馳走の楓の色とりどりの紅葉だった。

「遅い遅いと言われていた今年の紅葉も、『自然はありのままに動いている』ことが実感できますね。」といわれた先生の言葉が心に残った。


今回も先生手作りのむかご入りのおはぎをご馳走になる。
柿とその上に紅葉したいろは紅葉を添えて、季節感溢れる美味しいおやつを皆で頂いた。(カメラのメモリーがなくなったので、携帯で写した。)


28日吉田~御油 29日、30日赤坂~藤川




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長谷寺・紅葉に染まって

2007年11月27日 | ☆ ふるさと・大和



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紅葉の長谷寺
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『隠国の 泊瀬の山は 色付きぬ  しぐれの雨は 降りにけらしも』・大伴坂上郎女 万葉集8-1583


万葉植物学者の尾上ツヤ子先生と29人の仲間と紅葉の長谷寺を訪ねた。
「今年何回か長谷寺に来ていますが、今日の紅葉は最高ですね。」
そう言ってくださった先生の言葉が嬉しい。
用意してくださった資料の中から、長谷(初瀬→泊瀬)の万葉を上に掲載した。
時雨こそ降らなかったが、うす曇の一日だっが、心温まる日だった。

未整理のまま急いでの今日の記事UPは、今日の感動をとにかく今日のうちに残したかったからである。

詳しい散策の様子は、後日書いていこうと思う。

吉田~御油
コメント (17)
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栄山寺・国宝・梵鐘

2007年11月26日 | ☆ ふるさと・大和


栄山寺の梵鐘は国宝に指定されている。
青銅製で高さ157,4㎝、口径89cmで、4面に菅原道真の撰、小野道風の書と伝えられている陽鋳の銘文がある。
鐘の一番上にある竜頭(下からは写真に撮れなかった)は値打ちのある平安時代の作品だそうである。

銘文の小野道風の書というのには、研究者に異論があるようだが、梵鐘自体は、京都・神護寺、宇治平等院の鐘と共に、平安三絶の鐘とされている。

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梵鐘四面の文字(銘文)
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梵鐘の画像4枚は同じのを間違ってUPしたのでなく、四面をそれぞれ写したもので、読み辛いけれど、これが小野道風の書といわれている。
最後の、梵鐘拓本の屏風は、実家にあるのを撮った。
父が生前、栄山寺関係の方から頂いた、拓本をすぐに屏風にしたと聞いている。
私の子供時代の事である。

今では、国宝の梵鐘を拓本にとることなど考えられないが、鷹揚な時代だったのだと思う。


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マウスオン・ワンクリック三画像

梵鐘のスライドショーの画像の色彩がなんとなく寂しいので、屏風を写した帰りに庭に咲いていたツワブキと楓の紅葉、塀に垂れ下がって咲いているチロリアンランプを付け加えた。

 二川~吉田
コメント (12)
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初霜の朝&夕

2007年11月25日 | ☆季節



初霜は、昨日の朝だった。
窓を開けると外は真っ白だ。
奈良市の最低気温が0.5度とのことだったから、金剛山の麓の、この地方はさらに冷え込んだと思われる。

上野運動公園へ行った8時過ぎでも、土手が霜で真っ白だった。
吐く息が白く見えたのも昨日の朝がこの冬になって、初めての朝だった。
太陽の光の当たった、公園の東の端にある小さい池の表面から、ゆらゆらと水蒸気が煙のように上がっていた。



そして夕方
買い物に行こうと外に出た。
東の空にまん丸な月が出ている。
月齢を調べてみると、24日は十四夜だった。
余りに丸いので十五夜だと思っていたが・・・
とにかく美しく冴え渡った冬の月は綺麗だ。

白須賀~二川
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わが町・栄山寺の八角円堂

2007年11月24日 | ☆ ふるさと・大和


栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等の長子である武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝わる。その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所が置かれていた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



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栄山寺の八角円堂
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現存する八角堂は、藤原武智麻呂の没後、子の藤原仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したと伝える。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

先日興福寺北円堂に行った時に、「わが町の栄山寺八角円堂は???」というコメントを頂いて、サツキの花の咲く頃に行ったきりだったので、再度古刹を訪ねた。
境内の建物が焼失した時に、唯一焼け残った奈良時代の建物としての八角円堂をゆっくり眺めた。
堂内は撮影禁止だが、極彩色だった跡を留める仏画、天蓋の絵、内陣の柱などには壁画が残されているのが見られる。
剥落の激しいのがかえって、遠い天平の時代の建築がそのままここにあるのを実感する。


軒下垂木・二軒(にのき) 軒下角の木組み 

軒は垂木が二層で、下が丸い木材を使い、上は四角い木材を垂木にしている。
素朴な造りであると思いながら眺めた。
直接屋根を受けているのは、板のように見える。

屋根は明治44年(1911年)の解体修理以前には草葺きであったものを修理に際して瓦葺きに推定復元したものであるらしい。



鎌子窓 四方板扉
外部は、連子窓と四方板扉になっていて、木目そのままで彩色があったのかどうかはうかがい知ることが出来なかった。

新居~白須賀
コメント (4)
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