晴天に恵まれた貴重な日だった。
お墓参り4箇所は午前中かかった。
洗車、買い物、頼んでいたお餅を買いに行き、五条駅に所用で行き、とにかく動きっぱなしの一日が暮れようとしている時、ふと南の方を見た目に入ったのが、冠雪した奥吉野の山並みだった。
家を通り越して少し高台の田園地区の中学校の傍に停車してカメラに収めた。
一番左の三角の山は三重県境の高見山。
中央が多分八経ケ岳だろう。
私説・奥吉野アルプスが冬日和の中に白く輝いていた。
忙しかった一日の終わりに、ほっとした白い山並みだった。
撮影禁止なので、拝観入場の時にいただいた栞を写した二体の仏様である。
横浜の叔父が奈良に来た目的は、聖林寺の十一面観音菩薩像を観るためだったとのことで、私も連れて行ってもらった。
そんな昔の記憶の中の御仏が纏った衣の襞の美しかったことと、ふっくらとしたお顔が優しかったことなど、半世紀たった今、叔父の思い出と共に甦ってきた。
< 法隆寺> | |||||||||||
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学生時代美学の教授の現地学習で、初めて拝観した百済観音は、金堂に祀られていた時代だったが、その魅力に取り付かれたように何度か法隆寺を訪ねた。
そして時間を忘れたように、百済観音と対座していると、心の鎮まる思いがした。
その頃のことを思い出しながら、やはり慈愛深いお姿の前に足を留めていた。
登山家として、マラソンランナーとしてそれぞれの分野で輝いていらっしゃる3人の方と、只今「光輝」を目指している私。
さあて何に輝くのか自分でも、分からず「後期」のままで終わるかもしれないけれど・・・。
一番端っこから下へとまだまだ築地塀が続く。
秋に一人できた時どうしてもここに辿り着けなくて、この日は竜馬16さんのご案内で見ることができた。
私が秋に引き返してしまったところは、法隆寺 西大門から少し北に登った所で、この日とは反対のルートを通ってきたからだと、方向音痴を今更のように自覚した。
< 藤ノ木古墳> | |||||||||
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その日のことは、藤ノ木古墳特別公開見学の記・2008・5・42日に渡って記している。
今はこうして史跡公園として長閑な西の里で、訪れる人の古代へのロマンを偲ぶように整備されている。
石棺に埋葬されている、皇族クラスの若者二人の、静かな永久の眠りにふさわしい里である。