カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

宇陀・松山・夢街道 ①

2008年08月31日 | ☆ ふるさと・大和




「夏の終わりに、私の町のライトアップのイベントがあるので、おいでよ。宿も取っておいて一緒に泊まるから。」
そう言って、えっちゃんが誘ってくれたのは、5月の退職者の会の総会の日だった。
「お願い、皆任せるから。」

豪雨や雷の続くことなんか考えられない時だったが、日が近づくにつれ天候が気になる毎日だった。
昨日の朝も、宇陀地方の1時間雨量が28mmとテレビに出ていたので心配したが、夕方道の駅「阿騎野」で待ち合わせた頃小雨になり、夕食をしているうちにすっかり雨が上がり、うっすりと夕焼けが西の空に見え始めた。



浴衣・夕暮れ・夢街道
このキャッチフレーズぴったりの女の子と出会った。
背中の団扇は、浴衣を着て訪れた人にプレゼントとのこと。



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宇陀・松山・夢街道ライトアップ
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旧松山地区一帯(重要伝統的建造物群保存地区)
ライトアップ
 古民家や史跡など15カ所を外部から光をあてるだけでなく、室内の灯で格子戸を浮かび上がらせたり、竹矢来の中に灯を入れて光を放射線状にしたり、その家の特徴を際立たせる光の演出が、夕闇の迫る町を彩っている。

 金剛頂寺~神峯寺
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エノコログサの思い出

2008年08月30日 | ★ 日々の呟き




裏の野路に出ると、赤い花(何か分からない)とエノコログサが咲き乱れていた。
エノコログサの穂の色が、ベージュもあるのかと思ったが、これは枯れ初めかもしれない。



穂の一つを見つめていると、孫の2~3歳くらいの頃だったか、この裏道を一緒に散歩しながら、1本を抜いて、私の首筋に持ってきて、「これ、こちょこちょ自慢やで」といった日のことをいつも思い出す。

いつかブログに書いたような気もするが、孫のこの表現は、感覚的に捉えて面白いものだと、感心した昔のことだ。
くすぐるのにもっとも手ごろだから「こちょこちょ自慢」と命名した孫も、来年は結婚すと事が決まっている。
本人は、babaにこんなことを言ったことなど、覚えてもいないだろうが、babaにとっては、孫の感性から出た言葉を、忘れられない。



薄く差した朧な光を逆にして、撮ったエノコログサが別の雰囲気を醸し出す。
青空の下で見る日が、早く来ると良いのにと思いながら、つれづれなるままに、額で飾ってみた。






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一休寺 方丈庭園 心癒されるひと時

2008年08月29日 | △ 旅 あれこれ ドライブ




庭園についての説明は、パンフレットをの説明を、下の画像のスクロールの画面に使わせてもらった。
南庭から、ゆっくりと庭園を眺めながら、歩いた順に撮った写真をスクロールさせた。
足の裏の廊下の板が、ソックスを通して木の感触が心地よい。
立ち止まり立ち止まり、それぞれの美しい庭を眺める時間が止まったようだった。
庭についての難しいことは知らない私だが、とにかく「いいなぁ!」「きれいだなぁ」と静かな感動に浸っている癒しの時間をいただけた。


名勝 方丈庭園
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 方丈を取り巻くように造られた美しい庭園である。 順路に従って方丈の右手に庭園を見ながら廊下を歩く。 南庭はサツキの刈り込みと、白砂の庭で白砂に描かれた直線と曲線がとても綺麗である。 東庭は、大小の岩や石でもって、十六羅漢の遊戯を擬えたものということで、石組みが面白い。 廊下伝いにさらに北に進むと、北庭は、枯滝落水の様子を表現した蓬莱庭園。 作者は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の三人の合作と言われている。 北 東 南、三面の庭からなる、江戸時代初期の禪院枯山水庭園で、名勝指定されている。北庭の蹲の次の座敷の画像は、方丈を1周した場所で、奥の簾の向こうは南庭の観える廊下である。<
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画像の上に、マウスを置きますと、画像のスクロールがストップします。左へ、右へをクリックしますと、その方向にスクロールします。

 金剛頂寺~神峯寺
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一休寺・方丈

2008年08月28日 | △ 旅 あれこれ ドライブ




唐門と 右に庫裡の屋根、上には方丈の屋根の見える場所
拝観は、唐門からでなく、庫裡へと順路が示されていた。




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一休寺・方丈
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お寺で貰ったパンフレットによると、方丈について次のように掲載されている。

『加賀城主前田利常公が、大阪の陣の時木津川に陣をしき、一休寺に参詣したおり、寺の荒廃を嘆き、1650年に再建されたものである。内部襖絵は江戸初期の画家、狩野探幽斎守信の筆になったものである。』

広い廊下を歩いていると、ある部分だけ「キュッ キュッ」と鳴るのに気が付いて、他のところを歩いても鳴らない。
鴬張りなのかどうかは、分からない。

81歳に、京都大徳寺住職になった一休禅師が、ここから京都まで通われたという「輿」には興味深かったが、
それ以上に88歳ご入寂の、一休禅師の当時としては考えられないほどのご長寿には敬服した。


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一休禅師・酬恩庵・暮らしの見える場

2008年08月27日 | △ 旅 あれこれ ドライブ




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酬恩庵・暮らしの見える場
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一休さんが開山した酬恩庵については、検索によってかなり詳しく書かれているので、ここでは割愛し、私の足と目とカメラで捉えた現在的な見方で書いていきたい。
受付で拝観券を購入し、ふと後ろを見ると参道を隔てて、浴室の建物がある。重要文化財である。
不思議に思ったのは、生活の場の庫裡からかなり離れた場所に建っていることであった。
順序案内は、庫裡の台所からになっていたのでその方に進む途中、「東司」という建物に重要文化財の墨書きがった。
中を見るとどうやらトイレのようだったが、これについて調べてみて、新しく知ったことがあった。

一休寺のことではなく、京都の東福寺のことであるが

『 東司 ( とうす ) とは 厠 ( かわや ) の別名で、つまり “ トイレ ” のことです。

禅僧にとって 用便は修行のひとつ であり、東司の使用には 厳格な作法 が定められていました。

清潔にすることは功徳を積む修行 であり、その禅の精神を今に伝える室町時代唯一の東司の遺構として貴重な建築物です。』

古語辞典では、東司とは、厠つまり便所と書いていたが、禅の修業との関わりを今回初めて知った。

三つの炊口のある大竈とその上に載った大釜、あまりの大きさに、ここでどんなものが炊かれたのか、一休寺納豆とかかわりがあるのかなど、知りたいことは、まだあるが、再度もみじの頃に訪ねた時に、聴けたら聴いてみたいと思っている。


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