カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

信州の旅つづりのおしまい

2012年01月31日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

御神湯が、架空の動物から流れ出ている。
温泉でとても温かい。



拝殿に参拝する。
春宮もそうだったが、諏訪大社には神殿がない。
これは奈良県の大神神社、談山神社も神殿がなく拝殿から、御神体の山を拝するのと同じようだと思った。




御柱で象徴される大自然こそが、御神体として、古い歴史の中で脈々と続いた、土地を護り鎮める、大自然への信仰なのではないかと、立派な御柱を観ながら思った。



帰途塩尻駅まで送っていただく途中の気温である。
午後の日差したっぷりで、よく晴れ上がってはいるものの、信州の風は冷たい。

この旅の途中は、冬将軍の到来もなかったが、ここ1週間ばかりきっと信州も連日雪なのではないかと思いながら、旅つづりに「呟き」を記している。
あくまでも私見で、興味深いことは、これから調べていく機会もあろうと、勝手な呟きで真実から遠くはなれたこともあると思う。
でも、旅先でさまざまな想像や連想を広げるのもまた、旅の楽しさなのだと自己弁護している。




1月17日 塩尻発15時03分 ワイドビューしなの16号にに乗車。
ここまで送ってきて頂いて、最後の最後までお世話になった。

hirateさんご夫妻のご案内で、マオママさんとともに真冬の信州を旅した思い出綴りは、2泊3日だったのだが、テーマ別にしたので、11日をこれに費やした。

 hirateさん・いい旅をありがとうございました。
 マオママさん・ばぁちゃんのおもりを、ありがとうございました。
 そして、お終いまで「呟き」にお付き合いいただきました皆様、感謝しています、ありがとうございました。
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信州の旅つづり 諏訪大社へ

2012年01月30日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

結氷している諏訪湖

まだ全面結氷をしていない諏訪湖を暫く眺めた。
水面が静かに凍っている場所もあるし、漣の形の瞬間凍ったような所もあり、自然の芸術作品のようでいくら見ていても飽きなくて面白い。


諏訪大社にお参りした。まず春宮へ・・・
お正月の初詣の人並みの物凄さを、ネット上で見ていたが、今は静かな境内だった。


今年は辰年なので、何処の社寺にお参りしても手水舎に竜が見えれば、必ずカメラに頂くことにしている。
厳しい顔の龍は、手を清め口を清める時、この世の穢れも落としてくれそうだ。



こちらの龍には、まるであごひげのように厚い氷が氷柱になっている。



こちらは龍でなく獅子である。しかも獅子の口からは、温泉が流れ出ていて、手を清めるとあったかくて気持ちがいい。


手水舎で清めた後、拝殿にお参りして、今日ここにお参りできたことの感謝の気持ちで手を合わせた。

  
 

諏訪大社について、最も興味があるというか、テレビで見てインパクトが強く、記憶に残っているのは、「御柱祭」の神事に樹齢200年程の樅の巨木を山から曳き下ろす勇壮な場面である。
その巨木の「御柱」を社殿の四隅に建てる諏訪大社にとっては、最も大事な神事であると聴いた。

この神事は、毎年ではなく、寅と申の年に7年目ごとに行われるのも謂れのあることだろう。
前のニュースの画像で見た御柱が、今この目の前にある柱なのだとその大きさ高さを実感し、今度テレビでニュースとして流される時、諏訪大社に参拝したことを感慨深く思い出すだろう。

   

諏訪大社秋宮に参拝する前に、丁度お昼時になったので、美味しいお蕎麦を食べたいと、探し訪ねて行き着いたところが、「八州」かつて三島由紀夫もここのお蕎麦を食したのか、色紙が額に入っていた。
勿論美味しかった。残りの汁に蕎麦湯を注いで、最後までゆっくり味わった。








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信州の旅つづり 松本城 旧開智学校

2012年01月29日 | △ 旅 あれこれ ドライブ
松本城から見える常念岳



信州の旅は、この日もよく晴れた朝を向かえた。
月末になった今、1月中ごろの気候は、旅のよさをしっかりと支えてくれていたように思う。
もしあと1週間遅れていたら、連日雪で、計画していただいた所へもいけたかどうか・・・
「天使が旅をすれば、太陽は微笑む」スイス旅行をしたときの添乗員の方が、アルプスを背景に団体写真を撮りながらいった言葉を、今回もまた思い出す。
年取り過ぎた天使だけれど~~~





江戸時代にタイムスリップしたような街並みだ。
白壁となまこ壁が立ち並んでいて、城下町に来たのだなぁと、こういう町歩きは旅情を誘う。
この中町通りを突き当たって右に曲がって女鳥羽川に掛かる千歳橋を渡ると、大名町通りとなる。


お殿様の家紋が道路にお城のほうに並ぶ。


「国宝松本城天守」の白い石柱が迎えてくれている。



場内に入って先ず目に付き、庭園散策の時も、何処からもお城の背景として見えているのは、北アルプスの峰々と、なかでも常念岳の美しい山容であった。



内堀は白鳥を泳がせ、天守を映し、石垣を水面に浮かべ、さらに白い山並みを漣に載せて、黒いお城を囲んでいる。


松本城天守、渡櫓、乾小天守は、現存する5重6階の木造天守としては日本最古のものであると、案内パンフにあった。
場内は当時のままの木造の床、狭くて急な階段で、スリッパに履き替えて登るのだが、履かない方が安全に行動できそうなので、冷たい冷たい木の床を踏みしめて登った。
そのほうが、当時の場内の暮らしがじかに伝わってくるような拘りを持ちながらだったが、冬には少々辛い見学だ。


最上層階から見下ろした、牡丹園の藁囲いは、春を待つ牡丹童のようで可愛い。
藁囲いの頭の天辺が、大和の冬牡丹や、寒牡丹のようにみんな同じでなく、それぞれ個性的な藁頭に編んであるのが、興味深かった。

在職当時夏に汗を流しながら登ったお城も、真冬の松本城も、好きなお城である。

旧 開 智 学 校


   


松本の画像もお城で終わりだと思って整理をしていたら、「旧開智学校」が、忘れないでというように残っていた。
確か日本史で学習したわが国最古に開校した小学校であると・・・
明治6年に建築されている、文明化の雰囲気を今に伝えている建物だ。
東京でなく、松本であることは、この松本がいかに教育の先進の地域であったことの証だと、これは私見だけれど。
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信州の旅つづり 八島湿原 アザミの歌

2012年01月27日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

これはどの辺りだったのか記憶にないが、-7℃という表示が目に入ったのでシャッターをきった。
「予定には入っていないのだけど、折角ここまで来たのだからおまけをつけましょう。」
そういいながらhirateさんは、ビーナスラインの積雪道路を走った。




ビーナスラインは、 11月中旬~4月中旬まで積雪のために、八島駐車場~和田峠~美ヶ原間が閉鎖される 。
夏には何回もビーナスラインをはドライブしたことがあるが、冬季にここに来たのははじめてである。
その八島湿原まで連れて行ってくださるというおまけのドライブである。
秋の草紅葉の八島湿原の美しい画像を今年も何回かネット場で見てきた。




八島湿原の駐車場の所まで行くと、道路は通行止めの扉が閉まっていた。
ここまでの凍結した道路は、訪れる車もないままに全く雪道そのままだった。
こういう道路のドライブも珍しくスリル満点だった。
1台の車も停まっていない、夕暮れ迫る駐車場は、私たち4人の世界だった。




『植物が枯れても腐らず堆積し、約1万2,000年もの時
を経て形成された八島ヶ原湿原は、標高1,620mの日
本最南端に位置する高層湿原。
国の天然記念物に指定され、湿原を一周するハイキン
グコースでは、約260種類の高山植物を間近で観察で
きます。』

閉鎖が解除された春の湿原は、春から秋にかけて素晴らしい高山植物の宝庫として、ここを訪れる人を待っていてくれるのであろうと、今は雪原の湿原を感慨深い気持ちで眺めた。



 「あざみの歌」  
横井弘作詞・八洲秀章作曲


山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば

高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は はてなくも
香れよせめて わが胸に

アザミの歌の歌碑のある場所は、駐車場から隧道を通って湿原には入らない場所にあったので、そこに行った。
一番だけだっが、歌碑の前で誰も聞いていない湿原に向かって大きな声でみんなで歌った。
引き返すとき隋道の中のほうが、声がよく響くとhirateさんが言ったので、大きな大きな声で「青春時代に覚えたアザミの歌」を湿原に置いていくような気持ちで歌った。
なんと楽しい霧ケ峰の最後だったことだろう。



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信州の旅つづり ピラタス高原 坪庭歩き

2012年01月26日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

ピラタス蓼科ロープウエイは、信州蓼科高原の八ヶ岳にあり、標高1771mの 山麓駅から、北横岳と縞枯山の稜線にある山頂駅(標高2240m)までを約7分間で結ぶ100人乗りロープウエイで、いっきに2240mまで運んでくれる。
ほとんどの人は、スキーヤーかボーダーさんで、坪庭歩きの人は見かけなかった。




気圧が低いのか耳がツーンとして変な感じである。
標高2480mの横岳と、標高2403mの縞枯山の鞍部に広がる、坪庭は八ヶ岳最後の噴火で出来た溶岩台地で、地形の形状がすり鉢状になったそうで、日本建築の屋敷の中になる坪庭のイメージとは全く違って、自然が造り出した形状そのものにつけられた名前であることを知った。



1周が1000mと書かれているが、雪山でなかったらトレッキングコースとして、何とか今の体力で歩けそうだがごつごつした岩山があるとのことで、最初から私は引けていた。



散策コースは新雪ではあるが下は踏み固められているようで、コースさえ外れなければ、樹氷を撮りながらゆっくりと歩くことができそうだ。
コースをはずせばラッセルしなければなりそうで、こわごわ慎重に進んだ。
女性陣はスノーシューをを装着しているので、先にコースどおりに行きなさいといってくれたので、雪の道を歩くのが楽しくて平坦なコースに安心して歩き出した。
ただ、私の前にも後ろにも人のいないのが不安だった。



「暫く行くと急な坂があります」写真ではその急なのがあまり分からないが、ここに来て私にとっては大変な難関にぶち当たったような気がした。
後ろから来るはずの3人の姿がまだ見えなかったことが、私をパニック状態にした。
登っても登ってもずるずる下がってくる。
そんな悪戦苦闘しているところにhirateさんが追いついてくれて、登るようにサポートしてくれるのだが、
自分の状態が「目が回りそう」なので、そのことを伝えた。
心臓のドキドキも息切れもしないのに、「目が回る」様な感覚だけが、登ることにすっかり意欲を無くしてしまった。
登った分降りる場所がこの先にあると思ったら、「もうここから引きかえしま~す。」とギブアップしてしまった。



急坂の下に戻ってその辺りをカメラに入れながら、来た道を引きかえした。
上まで行きたいとは全く思わないで、今の状態に結構満足だった。
「自分で納得して引きかえすと決める判断は、それでいいのですよ。」hirateさんはそう言いながら、ついて来てくださった。
遥か上の黒々とした岩場から、元気な二人の女性の声がして、お手を振っている。
こちらも手を振りながら、あんなに高いところまでは到底いけなかっただろうとさらに納得した。


   

ここでの樹氷の美しさに堪能して、坪庭の降り口まで行って待ってみることにした。
ところがその出口に当たるところが散策路が崩壊して通行止めになっている。
ずいぶん待ったがなかなか姿が見えないので、来た道を引きかえしたのだろうかと、ロープウエーのところまで行って待つことにした。
スキーで下るかボードで山を降りる人ばかりで、駅には人影もなかった。
「寒いから先に下りて、下の温かい所で待っているように・・・」そう言ってもらって、次の下りのロープウエーに乗った。



たった一人の乗客の私に、乗務員さんは、「今日は山の状態もお天気もよくて、いい日でしたね。」と話しかけてくれた。
7分はあっという間だか、ロープウエーのなかから見える樹氷や遠くの日本アルプスの山々をしっかり頭に焼き付けてきた。

後で降りてきた二人の話では、崩落した道を降りてきたとのこと、天晴れ・天晴れである。


今日1月26日は私が生まれて、27759日。おめでとうケーキを先ほどまで頂いていた








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