昨年6月26日に吉野山七曲りの紫陽花観たくて、一人で小雨の中をドライブしています。
丁度昨年の今日のことです。今回の吉野山行は20日だったので、開花状況はいくらかずれがあり、ちょうど今頃が満開のころだと思います。
吉野川の「柳の渡し」
吉野川に沿った近鉄吉野線の六田駅と大和上市駅の間に昔は吉野川を渡る「柳の渡し」が在りました。大淀町北六田と南の吉野町六田を結んだ渡しで、平安時代に聖宝(しょうほう)理源大師が開設し、美吉野橋が架かるまでは、約3キロ上流の「桜の渡し」、約3キロ下流の「椿の渡し」と共に吉野川の三渡津の1つで、大峯七十五靡第75番に数えられ、理源大師を開祖とする当山派の修験者にとっては、ここが大峯への北の入口でした。
吉野川に沿ったこの道はよく通過するところですが、この柳については、由緒ありげな柳とは思ってはいましたが、バスの中で尾上先生の説明をお聞きして、これがあるから今まで目にしてきた風景に、歴史的想像が加わって、楽しみが増すのです。
吉野大橋を渡りました。吉野川での鮎釣り風景を今年初めてみました。
吉野山に着きました。駐車場からは暫く葉桜の下を散策しました。「この緑がすべてピンクに染替えた風景を瞼に描いてみましょう。」尾上先生はバスの中でおっしゃっていましたが、桜の頃の吉野山は全くその通りです。
七曲の石標の坂道を文字通りのような、ヘヤピンカーブの坂道の両脇に紫陽花が咲いています。
まるで紫陽花ロードですが、でも私たちが行った時は満開に近づいてはいましたが、見事な開花状況ではなくて、町が計画している28・29日の紫陽花祭りの時が1番いい時でしょう。
夜はライトアップもあって幻想的な七曲りの紫陽花道となることでしょうが、お天気の方は梅雨時なので、この日のように曇天というわけにはいかないようです。
七曲りの紫陽花は4000株植栽されているそうで、これらが咲き競うのは、もうしばらく続きそうです。
吉野という名は「吉い野」と先人がほめたたえた地であり、古来から役行者、天武天皇、西行法師、源義経、静御前、後醍醐天皇、豊臣秀吉、松尾芭蕉、本居宣長と歴史の舞台に足跡を残しています。(尾上先生から頂いたパンフレットより)
よき人の 吉野よく見て よしといいし 吉野よく見よ よき人よく見よ 天武天皇
またこの和歌を紹介していただきました。たぶんこの吉野は春の桜の吉野山でしょうが、緑のトンネルを歩きながら、この道は吉野から大峰山へ続く山並みの尾根道であることを、教えていただきました。
尾上先生より教えて頂いた和歌二首を、紫陽花に添えたいと思います。
紫陽花の 八重咲く如く 弥つ代によ 今せ我背子 見つつ偲はむ 橘諸兄 20-4448
(紫陽花が八重に咲くように いつまでも栄えておいでください あなたよ 紫陽花を見ながら偲びましょう)
言問はぬ 木すら紫陽花 諸ちらが 練の村戸に あざむかえけり 大伴家持 4-773
(ものを言わない木でさえ 紫陽花のように移ろいやすいものがある 諸弟めの巧みな占いにだまされてしまった事よ)
万葉集にはこの二首しか詠まれていないそうです。
紫陽花まつりとイベント案内のパンフレットを貰って、ポケットに折りたたんでしまっていたので醜くなってしまいました。
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