カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

夏越の大祓にいただく和菓子「水無月」

2014年06月30日 | ★食の楽しみ

 

 

 

昨日頂いたコメントで、夏越の大祓の日に「「水無月」という和菓子のことを教えてもらって、京都の食文化であることを知りました。

「水無月」という和菓子が店頭に並んでいるのを、いつかどこかで見たような気がしましたが、それは和菓子の名前であって、年中行事の日の今日「夏越の大祓」の日に厄祓いの願いをこめて外郎ういろう)生地の上に大粒のあずきを載せた和菓子を食べる習いは、京都の夏の風物詩だとのことです。

昨日は茅の輪くぐりをしたので、今日はどうしても「水無月」を食べたくなりました。

橿原市の和菓子屋さんへ行きました。

お店には水無月が積み上げてありました。やはりこの近くの人たちも、京都の食文化が浸透しているのでしょうかしら。 

 

 

 

手前のは、外郎が抹茶で、上には大粒のインゲン(?)、小豆の載っているのは、台の外郎がオーソドックスな白です。向こうのはあんずが載っていて台は白の外郎です。

仏壇にお供えして夕食後頂きました。上品な甘さです。

もともと外郎が好きなので、この美味しい水無月の力で、この夏を乗り越えられますようにと、これから先の夏越の大祓には、また楽しみが一つ増えたように思います。昨夜コメントをくださった耕心舎さんに感謝です。

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夏越の大祓え 1日早く大神神社の茅の輪をくぐって

2014年06月29日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

 明日でもうこの1年の半分を越すことになります。振り返ってみますといいことの方が多かったように思うのですが、よくないことの方が印象に残ってよみがえってきます。

体調がよくないことが何回かあったのも、年を重ねてきたせいかと、年々このように感じることが多くなってくるものと、半分は諦めてみたり、否もっと元気な人もいるのだから弱気になってはいけないと、自分に言い聞かせたりしています。

今日三輪さんにお参りしたのは2つの目的がありました。一つは車のお祓いをしてもらうためです。新車の時にはお祓いをしてもらっていますが、いつもそれきりで、次の新車の時にまたお祓いをしてもらうのが常でしたが、今年車に乗ってから初めて、追突されるという事故に遭いました。怪我もなく1か月ほど、血圧が不安定で体調不良だっただけでした。血圧と事故との関係はわかりませんが今では、安定していますが、当時は何となくしんどいような日々でした。そんなことがありましたので、夏越の大祓の茅の輪くぐりと同じ日に車のお祓いもして貰いました。

 

友引という佳い日でもあったせいか、次から次と多くの車がお祓いの受付をして、待合場所で待ちました。受付をする車が道路にも並ぶ状態でした。

 

 

 

何台分かの車がお祓い所の前に並び、持ち主と同乗者がお祓い所に入って、お祓いの祝詞をあげてもらい、厳粛な気持ちで、安全運転と、事故に遭遇することのないように念じながら、お祓いを受けました。

 

 

お祓いの後、車のドアを全部開けて、車と一緒にお祓いを受けました。

 

 

  

車のお祓いの後、拝殿前の境内の茅の輪をくぐって拝殿にお参りしました。大神神社の茅の輪はほっかの神社と違って、榊・杉・松を掲げた三連の輪になってくぐる順の説明が傍に書いてくれてあります。八の字にくぐってから真ん中の輪から拝殿に向かいます。前半のわが身の反省やお礼を心に念じながら三つの輪をくぐり、拝殿にお参りしました。  

 

 大祓の三連の茅の輪です。明日はここで神事も拝することができ大勢のお参りの方があるそうです。

  

帰りは左の石段から下りたのですが、ここに新しくエレベータが設置されているのに気が付きました。ささゆりを見に来た時にはあったのかしらと思いながら、これがあれば車いすの人や、足に故障のある人もお参りしやすくなると、神社の配慮の優しさを思いました。

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紅花が梅雨空を持ち上げて・石舞台

2014年06月28日 | ☆ ふるさと・大和

 

明日香 稲渕へ行こうとしていた時のことです。石舞台古墳を右手に見てカーブに差し掛かった時、左手の丘の上に黄色に塗りつぶされたような場面が目に入りましたので、駐車できるところまで行って広場に車を置いて、石舞台古墳の見えるところまで戻ってきました。

 

目当てが棚田だったものですから、紅花のことは頭になっかったので、菜の花畑のような色合いが近づくにつれ、紅花だと確認できましたから、嬉しくて丘に登っていきました。

 

  

黄色い花ばかりに見えたのですが、朱色の花も交じって咲いています。朱色と黄色があるのではなくて、咲き始めは黄色、しだいに赤っぽく変わります。
花は紅色の色素を含み、染料や薬用として使われます。 紅花の名前もここからきています。

今のこの畑の状態だと、黄色の方が多くみられますので、ごく最初の咲き始めの頃と思われます。

 

  

以前にも書いたと思うのですが、花の真ん中の方から朱色になってきますので、別名は「末摘花」と呼ばれています。 茎の末の方から咲き始める花を摘み取ることからそう呼ばれるのですが、源氏物語に登場する女性で末摘花(常陸宮姫)という人がいます。 その姫は鼻が赤いことから 「紅鼻」とも呼ばれ、同じ読みの「紅花」にちなんでこの花の別名として「末摘花」の名前がつけられた気の毒なお姫様だと、思はずにはいられません。

 

 

この写真を撮ったのは、25日でした。その日まで降りそうで降らない鬱陶しい日だったのですが、「ご先祖様のお引越し」というような仏事などあって人の出入も多く暫く更新を休んでいた頃、やっと時間ができ大急ぎで明日香村へ車を走らせた日でした。

 

 

 

 

空いっぱいがみんなこんなに青くなくて、山際から白い雲が次第に湧いてくる空を見上げながら、青空に紅花がうまく入るように写す場所を変えたり、しゃがんだりしていたい膝をだましだまし撮った紅花でした。

 

 紅花は推古天皇の時代から、紅色の染料をとるための植物として利用したそうです。 6世紀の藤ノ木古墳から紅花の花粉が検出されているそうで、明日香の石舞台古墳の見える小高い丘に、この花が咲いているのも、古代を偲ぶ花と言えるでしょうね。

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金峯山寺

2014年06月27日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

吉野山旧跡・金峯山寺国宝・蔵王堂について、桜の頃や7月7日の蛙飛びについての多くの記事できっと目に触れていることが多いでしょうが、今日の講師先生からお聞きしたことや、頂いた資料で、印象的だったことや、次回に山に行ったら人の多い桜の頃でないときに、ゆっくり思い出しながら吉野山を愛でたいと思ったことなど、かいておきます。

 蔵王堂の創建は不明だが奈良時代から平安時代の初期と言われています。何度かの消失で現在の建物は1592年に竣工されているとのことです。興味を持ちましたのは、本堂の柱が68本で、杉・桧・欅・松・梨・躑躅など白木のまま用いられているとのことです。

 

登ってきた黒門(黒塗りの門) 写真には撮ってこなかったのですが、その黒門が金峯山寺の総門で、大名や公家たちは馬や駕籠から降りて腰の刀、槍なども伏せて通行した敬虔の意を表す神聖な門であったそうです。

 この石段を上ると、金峯山寺蔵王堂で、黒門の方角に対して背を向けた形で建っています。ふつう社寺では、門を入ると前方に本堂があります。

  

ご本尊の蔵王権現は秘仏です。中央は釈迦如来権現。 過去を救済してくださる権現様です。右は千手観音菩薩権現。 現在を救済してくださる権現様です。左は弥勒菩薩権現で未来を救済してくださる権現様だと、資料で教えて頂きました。

「秘仏で今日は拝顔できませんので、…」と先生がおっしゃってご本尊様の写真を拝見することができました。

鳥居に背を向けて建っている蔵王堂の前方には、はるか山並み続きの、大峰山山上ヶ岳からの巡礼を迎えるためとも言われています。

 

 

    

     

蔵王堂の軒下の仏様の彫の、精密で美しいのに惹かれて撮ってきました。今度はもっと望遠を効かせて撮れたらと思いました。

 

吉野山桜の名所由来について資料より転載させてもらいました。

1・役行者が山上が岳で蔵王権現を感得し桜の木に刻んだ修験者の守本尊。ご神木として大切に育成され一枝伐れば仏罰とされた。

2・鳥が桜果を食し、その種を撒き散らす。「権現さんの使い」と毎年末に餅撒きをして鳥供養をする行事が行われていた。

3・太閤秀吉の花見が1594年2月24日~3月1日に大名一行5000人の花見が行われた。(旧暦かな?)

4・大阪 平野の豪商末吉勘兵衛が10000本寄進。

この由来については初めて知ったことです。多くの人の桜を愛でる気持ちの繋がりが、古来から現在に至っていること、これからも山を愛し花を大切にしていくことの大切なことを学びました。

   

    

 

電車で帰った方が便利な人や、大阪方面の人は、吉野駅でこの吉野山のラッピング電車に乗車するので駅で別れました。

   

 

五條方面へ帰る人は、貸し切り状態のマイクロバスで、山を後にしました。

明日明後日とイベントの参加で山は賑わうことでしょう。お天気が少しでもいい方になって紫陽花散策を楽しめるといいなあと他人事ながら祈りたい気持ちです。

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吉野山七曲紫陽花

2014年06月26日 | ☆ ふるさと・大和

昨年6月26日に吉野山七曲りの紫陽花観たくて、一人で小雨の中をドライブしています。

丁度昨年の今日のことです。今回の吉野山行は20日だったので、開花状況はいくらかずれがあり、ちょうど今頃が満開のころだと思います。

 

  

吉野川の「柳の渡し」

 吉野川に沿った近鉄吉野線の六田駅と大和上市駅の間に昔は吉野川を渡る「柳の渡し」が在りました。大淀町北六田と南の吉野町六田を結んだ渡しで、平安時代に聖宝(しょうほう)理源大師が開設し、美吉野橋が架かるまでは、約3キロ上流の「桜の渡し」、約3キロ下流の「椿の渡し」と共に吉野川の三渡津の1つで、大峯七十五靡第75番に数えられ、理源大師を開祖とする当山派の修験者にとっては、ここが大峯への北の入口でした。

 吉野川に沿ったこの道はよく通過するところですが、この柳については、由緒ありげな柳とは思ってはいましたが、バスの中で尾上先生の説明をお聞きして、これがあるから今まで目にしてきた風景に、歴史的想像が加わって、楽しみが増すのです。

 

吉野大橋を渡りました。吉野川での鮎釣り風景を今年初めてみました。

    

吉野山に着きました。駐車場からは暫く葉桜の下を散策しました。「この緑がすべてピンクに染替えた風景を瞼に描いてみましょう。」尾上先生はバスの中でおっしゃっていましたが、桜の頃の吉野山は全くその通りです。

 

 

七曲の石標の坂道を文字通りのような、ヘヤピンカーブの坂道の両脇に紫陽花が咲いています。

まるで紫陽花ロードですが、でも私たちが行った時は満開に近づいてはいましたが、見事な開花状況ではなくて、町が計画している28・29日の紫陽花祭りの時が1番いい時でしょう。

夜はライトアップもあって幻想的な七曲りの紫陽花道となることでしょうが、お天気の方は梅雨時なので、この日のように曇天というわけにはいかないようです。

 

  

七曲りの紫陽花は4000株植栽されているそうで、これらが咲き競うのは、もうしばらく続きそうです。

 

吉野という名は「吉い野」と先人がほめたたえた地であり、古来から役行者、天武天皇、西行法師、源義経、静御前、後醍醐天皇、豊臣秀吉、松尾芭蕉、本居宣長と歴史の舞台に足跡を残しています。(尾上先生から頂いたパンフレットより) 

 

 

よき人の 吉野よく見て よしといいし 吉野よく見よ よき人よく見よ                 天武天皇

またこの和歌を紹介していただきました。たぶんこの吉野は春の桜の吉野山でしょうが、緑のトンネルを歩きながら、この道は吉野から大峰山へ続く山並みの尾根道であることを、教えていただきました。 

 

  

尾上先生より教えて頂いた和歌二首を、紫陽花に添えたいと思います。

紫陽花の 八重咲く如く 弥つ代によ 今せ我背子 見つつ偲はむ   橘諸兄 20-4448

(紫陽花が八重に咲くように  いつまでも栄えておいでください あなたよ 紫陽花を見ながら偲びましょう)

 

 

言問はぬ 木すら紫陽花 諸ちらが 練の村戸に あざむかえけり    大伴家持 4-773

(ものを言わない木でさえ 紫陽花のように移ろいやすいものがある 諸弟めの巧みな占いにだまされてしまった事よ)

万葉集にはこの二首しか詠まれていないそうです。

 

紫陽花まつりとイベント案内のパンフレットを貰って、ポケットに折りたたんでしまっていたので醜くなってしまいました。

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