「食後の運動に、少し歩きましょうか。」
M先生と一緒に二人のばあさんの散歩は、「昔はこうだった、あぁだった・・・」なんていいながら歩いていたが、街並みの店々は変わっても、変わらない橋の名前や、街の名前が懐かしいものである。
この木の橋は「太左衛門橋」と橋のたもとに彫ってあった。
織田作之助とこの橋のことを知って、「木の橋が面白い」と思いながら撮った写真だったが、由来を調べながら、この橋に興味を持つきっかけになった。
「太左衛門橋」の欄干から眺めた道頓堀川は、空の青が高く澄んで美しいから、その川のキャンバスに両岸の建物が写り込んで、これが道頓堀川かとすっかり見とれてしまった。
川に沿ったウッドデッキの散策道があり、歩いて見たいと思ったが、それは今度の楽しみにしておいた。
橋を渡ると宗右衛門町になる。
これも人の名前が町名になっているので、帰って調べてみた。
『地名は、道頓堀川開削に関わった人物の一人である、山口屋宗右衛門の名前に由来する。1615年の道頓堀川開削とともに成立した道頓堀川八丁のひとつで、道頓堀川の北岸に町家が建ち並んだ。』
とのことである。
「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」と言われているが、大阪の「くい」は「橋の多い大阪なので「杭」であるといつか聞いたのを思い出した。
なんとなしに街歩きをしていたが、「なんで」「なに?」があちこちの存在して面白い。