カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

ハナミズキ

2010年04月30日 | ☆季節
友達の家の玄関前の庭に今年もハナミズキが咲いている。
紅白一本ずつ青空に向かって大きく花を開いているのがとても綺麗だ。
そんなに広くない場所だから、この二本で紅白のアーチになっているように見える。






ハナミズキ「一青 窈」カラオケ本人歌入り

車の中でラジオから流れるこの歌を聴いた、
♪ 空を押し上げ
  手を伸ばす・・・♪
まったくそんな姿のハナミズキだ。
「YouTubeで見る」という白線のところをクリックしますと歌が聴けます


宮~桑名
コメント (12)
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御霊神社の太々神楽祭

2010年04月29日 | ☆ ふるさと・大和

神様からの贈り物・御供

「ごくまき」小さいころは、そんな「ごくまき」のある町や近隣のお祭りなどに近所の子供たちが誘い合って出かけたものだった。
「ごく」が「お供えのお下がりのお餅であることと「御供撒き」はそのお餅を氏子やお参りの人たちへのおすそ分けや、厄払いとして頂くものであることを知ったのは、かなり後になってからだった。
去る4月25日、「御霊神社のごく撒きの写真を撮りにいったら・・・」と友達に誘われて出かけた日のお餅がこの画像である。
大きいのは笠餅といって、手にできた人はラッキーとのことだ。
そのラッキーな笠餅二つは、見知らぬ人からのプレゼントで、紅白の御餅は、カメラを構えている私のところに飛んできた御餅だった。


御霊神社鳥居と三々五々とお参りにやってくる人たち

この日は御霊神社の隔年ごとに4月第4日曜日にとり行われる、太々神楽祭であることを神社のパンフレットで知った。



拝殿

御祭神は本殿には井上内親王(聖武天皇皇女・光仁天皇の皇后)後に流罪で五條に流罪されこの地で逝去した、
南脇社殿に他戸(おさべ)親王、北脇社殿には早良(さわら)親王、他戸親王とは異母兄弟、桓武天皇の弟が祀られている。
別宮には、火雷神(ほのいかずち)この神は、井上内親王がこの地に流罪の途中、現在の奈良カントリーのあたりで生誕。
こうして祀られている井上内親王は、一時は皇后であった身ながら、当時の皇位継承の勢力争いの渦中にあり、不遇の生涯をこの地で終えられている。
詳しいことに興味をお持ちの方は、上の「御霊神社」のリンク先をご覧いただければ。

太々神楽祭は、この井上内親王親子が、幽閉された五條の地で、暗殺され逝去されたと伝えられる日が、775年4月25日(27日の説もある)と伝えられることから、御霊神社で鎮魂のお祭りが執り行われている日に友達の「写真を撮りに・・・」によってお参りでき、有意義な日となった。

以前の関連記事


< やすいひろこの語り芝居と、木塲孝志アコースティックグループの二胡演奏>
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午前中の神事で社殿での神前奉納を済ませた後、御供撒きの前のアトラクションとして、今度は参拝者に大和の語部・やすいひろこさんの井上内親王親王にまつわる語り芝居と、木塲孝志アコースティックグループによる、二胡演奏があり、思いがけない感動をいただくことができた。



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会場点描 天平人になれる空間も

2010年04月28日 | 平城遷都1300年祭
< 遷都祭会場 点描>
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会場散策をしていると、あちこちで天平人と出会うのも面白い。
見るほうも楽しいが、本人はもっと楽しいだろう。
正倉院の御物や古文書などを研究しながら、当時の色彩をこれも忠実に再現した衣服は、身にまとうことによって、広い会場の中の自分の位置が、1300年前にタイムスリップして、天平の風に溶け込んでいく。
これは、若い人だけでなく高齢の男性の姿も様になっていて微笑ましかった。
最後の写真の左下の人は、肩にカメラさえ掛けていなかったら、都のお役人か、歌詠み人のようだ。
失礼にならないように小さく掲載したが、上品なおじさん(おじいさん)だった。


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優しいということ

2010年04月27日 | 平城遷都1300年祭
< 会場スケッチ>
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タイトルは適切ではないかとも思うが、「優しい」も含まれた記事になるかと迷いながら名づけた。
もしこの中での優しい部分がご覧になる人の心に届けばいいなぁと・・・

電車で橿原から奈良に行く時、車窓から見える朱雀門には、美しいなぁとつい車窓で目を凝らしていた。
この近鉄線が3枚目の画像で、平城宮跡の中を貫いて走る軌道になっていることには、今更ながら、よく許可が出たものだと思う。
当時はきっと発掘や調査と平行しながら進められたのだろうけれど。

さて優しい部分は、会場内を走るハートフルトラムで、高齢者や身体に障害のある人が広い会場の移動が楽なように考えられている。
ほかに、ハートフルカートもあるらしいがこの日は目にしなかった。
会場のあちこちの設置してあるベンチは、山を育てる上で必要な間伐作業があるが、その木材を利用していることが示されていた。
このイベントが終わったときに撤去すべき建物は、大抵そのような間伐材を用いて、木の温もりがある。
宮~桑名
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朱雀門から はな 夢花壇

2010年04月26日 | 平城遷都1300年祭
朱雀門北広場には彩り豊かなパンジーの植え込み花壇が大極殿にむかっている。
木の間伐材を利用した枠の中に、この時期の花が植え込んである。


< 朱雀門から はな 夢花壇>
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朱雀門から順路に沿って大極殿へと向かう途中の、花の歓迎道がある。

最初何気なく綺麗だなぁと思いながら見ていたが、それぞれの花の中央に、奈良市内の小学校名のあることに気がついて、今度は丁寧にそれらの学校名と、児童たちのメッセージに、耳を傾けるような気持ちで花壇の間を行き来した。

この祭典の日までそれぞれの学校で、丹精込めて育てるということで、大きなイベントに参加し、来る人を心を込めて迎えてくれることが分かった。

花を育てる過程で、慈しみの心や、郷土を愛する心も一緒に育てられたような気がする。
次世代を背負う子供たちの夢と希望がこの広い平城宮跡から大きく羽ばたいて未来へと繋げていくのだろう。

宮~桑名
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