カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

面不動鍾乳洞へ 洞川

2008年04月30日 | ☆ ふるさと・大和




この標識を見て面不動鍾乳洞へ(左)・鍾乳洞入口(右)
おいしい蕎麦屋さんで昼食後、その前の標識が目に付き前にきたとき行かなかったので、この日、面不動鍾乳洞に行くことにした。
トロッコで標高878mの鍾乳洞まで登るのも面白いだろうと、乗り場に行ったら、係りの人がいない。
昼食中だろうと諦めて徒歩で登る。
878mといっても、洞川の地が820mの位置にあるのだからそうたいしたことはない。
登る道々の野の花を見たり、きつい登りも楽しく、なんだか得をした気分である。




少し不安な気持ちで・・・(左)・ ぬめりのある天井(右)
モノレールが動いていないので、この時に鍾乳洞には1組だけだった。
大きい観光地の鍾乳洞と違って、自然そのままの地下道に下りていくような不安があった。
途中でカメラの電池切れのトラブル、予備は車の中なので、画像を残念した。
面不動鍾乳洞についてのHPで、詳しくはご覧下さい)




洞川温泉街を中心にした地区の建物群・鍾乳洞前の休憩所から





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鍾乳洞までの山道で出会った野の花
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ごろごろ水を汲みに行った洞川は・今

2008年04月29日 | ☆ ふるさと・大和



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洞川は桜の季節
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昨日、平日のうちにと、ごろごろ水を汲みに行った洞川は丁度、五條の季節の1ヶ月前に戻ったような、桜満開の時を迎えていた。
水を汲み終えて、さらに奥の女人結界門の辺りは、「春浅し」のようで、山桜の葉は出ているが蕾はほころんでいない。
今年の2月11,13,15,16日の雪の洞川の記事を見ながら、春の訪れの遅い奥吉野も今、これから春本番の息吹を感じる。

昨日準備中だった「名水まつり」のイベントは、今日29日に行われていて、きっと多くの人が訪れ、桜を楽しんでいることだろう。

日野~八王子
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金剛寺・牡丹園華やかに

2008年04月28日 | ☆ ふるさと・大和



昨日の日曜日の事である。
運動公園へのウォーキングに行く代わりに、吉野川を渡る大川橋の上からこいのぼりを見ながら川向こうの町まで歩いた。
川原からは、イベントの太鼓の音など聞こえていた。



目的地は対岸の野原町金剛寺。
山門を入ると、甘い白藤の香りの下をくぐって、本堂にお参りしてから・・・



牡丹園へ



牡丹の華やかさの中を散策


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マウスオン・ワンクリック・3画像

寄り添って・ピンク
寄り添って・黒に近い赤
黄色い小花の向こうに顔を見せる二輪


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華やかに咲いて
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一つ一つの花の笑顔と出会えるようなひと時である。
毎年ここに来るのが楽しみである。
和みと癒しと元気を今年も、「今年の花」に貰ってくることができた。

府中~日野


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宇陀市・人麻呂公園

2008年04月27日 | ☆ ふるさと・大和



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昼食をした人麻呂公園
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「かぎろいのおか」に登ってお弁当にするのには、薬園でゆっくり観察しすぎたのですっかりお腹が空いて、人麻呂公園のベンチに腰掛けてお弁当を食べた。

ここは、中之庄遺跡を埋め戻して整備された阿騎野・人麻呂公園である。
飛鳥時代のものとしては、桁行5間、梁間2間の規模を持つ大型の掘立柱建物を中心にして、付属する建物群や、石敷溝、苑池状遺構などが周囲に配置されていた遺構が、この公園の下に保存されている。
それらの事について、建物にあるボタンを押すと、詳しく公園中に聞こえる音量で説明してくれる。

のんびりと穏やかな公園にいると、古の世界に浸るような気持ちになる。

人麻呂の石像は、馬上で首を巡らしている。

阿騎野で狩をした時に詠んだ和歌が彫られていたので、画像に書き込んだ。

上石原~府中
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森野旧薬園 3 出会った花たち

2008年04月26日 | ☆ ふるさと・大和




薬園の中には、いくつかの趣きある建物があるが、その中の一棟に「賽郭祠堂(さいかくしどう)がある。
通称藤助・賽郭と号し代々葛粉の製造に携わってきたが、若くから動植物を愛好し本草を学ぶ。
40歳からは家業を番頭左兵衛に託し、本草の研究に打ち込んだ。
『賽郭は まだ死にもせず 生きもせず 春秋ここに 楽しみぞする』
という辞世の句を残して78歳で亡くなった。
左の坐像は賽郭夫妻とその左下に、一生無妻で主人に仕えた忠僕左兵衛の木造が安置されている。
賽郭の子武貞が親の偉業を子孫に伝えるために建てたといわれている。
賽郭の一番くつろいでいる時の姿勢で木造。
これは、その傍の説明板に書かれていた。



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森野旧薬園で出会った花や草
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