雪は積もらなかったけれど連日、雪雲が低く空を覆っていた日の寒さから、いくらか開放されそうな朝焼けだった。
しかし温かそうなのは、空だけで今朝の冷え込みはかなりのものだった。
時間が経つにつれて、山際の雲がなくなり、久しぶりに奥吉野の山の峰がこの家から望むことができた。
奥吉野の山の峰だけでなく、三重県と奈良県の県境を形成する台高山脈の中の、高見山の三角の形のいい山容が見える。
南のほうにカメラを回すと、ここにも雲がなく今日のいいお天気を期待できそうである。
西吉野の山の麓にたなびく霧は、吉野川から立ち上った、川霧である。
私はこの川霧の帯の見える風景が好きである。
寒さを忘れてレンズをの覗いていた。
「根来の僧兵」の勢力が大変強かったことを、日本史で学んだ。
それが秀吉に恐れられた結果、天正13年3月の根来攻めに至った。
その大火の焼失を免れたのが、この大塔とその横に建つ太子堂のみだった。
この多宝塔は、1496年に建立された、わが国最大の木造多宝塔で、明治23年に国宝に指定されている。
九輪の上部から屋根に下ろされている鎖が美しいので引き寄せてみたら、所々に風鐸が装飾として吊るされている。
九輪にも、それぞれ風鐸が見える。
鎖にある風鐸。
大塔の軒部分の風鐸。
これらの風鐸ガいっせいに風に揺れて鳴り出すのを聴いてみたい気がする。
浄土の音の調べがするかもしれないなぁと想像している。
軒下の木組みを見上げていると、長い年月を支えている塔の木組みの美しさに感動する。
この1階の絵天井は、素晴らしかったが、中は撮影禁止なのでいつまでも心に焼き付けるように、眺めていた。
落葉した桜の木の向こうに、姿のよい大塔を眺め、今度はこの木に花を咲かせましょうと思う。
今までは、サクラの頃は大抵大門付近の桜に気を取られていたが、今度は、大塔と桜という楽しみができた。
和歌山県岩出市根来にある、総本山根来寺は桜の季節、紅葉の頃に事情がなければ毎年訪れる。
いつの頃からか、奥の院への分かれ道の右側にお祀りされている、六地蔵様にお水をあげる出水口に、棕櫚の皮で造ったその年の干支を見るようになった。
六地蔵様の一体を、錫杖と共に写した。
このお顔はとても可愛い。仏様を可愛いと言うのは失礼かと思うけれど、一緒に微笑みたくなるお顔である。
高さ40mの国宝大塔を、坂の上に見ながら、いつも先に六地蔵様にお参りする。
棕櫚のウサギさんは1年間六地蔵さんのお水をお守りして、もう直ぐそのお役目を終えようとしている。
きっと年の初めは、白兎だったのだろうが、棕櫚の色の方がよく見える姿になっている。
そして、毎年 手か首に掛けているはずのメッセージがなくなっている。
そのメッセージを読むのを楽しみにしていたが、今年はそれにはお目にかかれなかった。
受付でそのことを尋ねると「あれっ・なくなっていますか。手に持っていたのですが・・・」とのことだった。
見落としたのか、それとも外れてどこかに落ちていないかといってみたが、何処にも見当たらなかった。
来年こそは、「辰」の棕櫚造りの出水の、メッセージを読むことができますように、それもなるだけ早い時期にと今思っている。
今日もすっぽり冷蔵庫の中に入っているような日だった。
こんな日に、熱々のねぎ焼きは美味しかろうと、先日根来に行ったときお昼のお食事に立ち寄った、「ねごろ」をPCの中から取り出した。
根来寺には年に2回は行っているが、丁度昼食時にくることがなかなかない。
桜の頃も、紅葉の頃も、朝うんと早く行かないと駐車スペースがないものだから、お昼にはもう帰ってしまうことが多い。
何年か前に「ねごろ」で焼いてもらったねぎやきの美味しかったことが忘れられず、2度ばかり友人と「ねぎ焼き」目的で行ったことがあるが、お店の前の駐車場がいっぱいで、諦めて通り過ぎたことなどもあったりした。
今回は裏の敷地が駐車場になっていたので、やっと大好きな美味しいねぎ焼きにありつくことができた。
バサッと思いっきり沢山積み上げるねぎが、先ず嬉しい。
こんなにねぎが入るのに全くべとついた食感のないのが、焼く人のタイミングのよい腕の確かさだなぁと見つめながら思う。
ねぎの上にぽんぽんと卵を二個割って伸ばす。
これで山盛りのねぎが落ち着く。
「どうぞ!」私の前の鉄板に出来上がったねぎ焼きが来た。
早く食べる方に気を取られすぎて、出来上がりの画像はピンボケになってしまった。
ねぎやきの好きな私は、お好み焼きやさんに入ると、ねぎ焼きを先ず注文する。
ねぎやきのないお好み焼きやさんもある。
そこには決してリピートしないことにしている。
それとねぎ焼きがあっても、べとついた感じに出来上がるのも再度訪れないようにしている。
この「ねごろ」さんのは、こんなに遠くまででもそれを食べに来たいと思うくらいだから、実に美味しい。
焼きあがるのを待っている間に、コーヒーをお姉さんがサービスですといって持ってきてくれた。
ありがたいお接待である。
十分満足しながら美味しいねぎ焼きを食べ終えた時、このお店のお母さんから、「車の中ででも食べて」と蜜柑を頂いた。
またまた、ありがたいお土産に、今度桜の花の咲くころには、ねぎ焼きを昼食時間でなくても立ち寄って焼いてもらおうと思った。