カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

薔薇が織り成す花まんだら・小房観音

2008年05月31日 | ☆ ふるさと・大和





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境内は薔薇が織り成す花曼荼羅の世界
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小房観音のバラ祭りは5月15日から6月30日までの長い期間開催されている。
テレビでは1800種2000株のバラが植えられていると報じていた。
期間が長いだけに地面に散った花びらあり、今をときめき開花を競うような花があり、蕾に花開く時の美しさを思わせるものありと、さまざまな薔薇の風情を楽しめる。
薔薇園といった気取った感じでなく、山門を入ると、華やかな彩と甘い香りと優しさに包み込まれ、癒されていく自分に気づく。















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風車が山に並ぶ・広川町

2008年05月30日 | △ 旅 あれこれ ドライブ



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山の上に風車が見える町・広川町
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帰途R42に出るまで南へ遠回りした。
突然大きな風車が里山の中に現れた。
カーブの多い細い道だからなかなか駐車する場所がなかったがやっと枝道のようなところを見つけて1枚撮った。
この風車が1本だと思っていたら、暫く走ると前方の山にずらりと並ぶ風車が見え始めた。
今度こそゆっくり駐車する場所をと願っていたら、そのためのような広場が見つかった。
山と反対側は海辺で、引き潮の時らしく、砂浜や小岩や波消しブロックが入り江に見えている。
その丁度後ろの山の向こうに、風を受けて回る風車が何本か見える。
肉眼でその全てが一目で見上げることが出来るけれど、パノラマ撮影が出来ないから、バラバラ撮影となってしまった。
しかし、あの1本離れたのだけでなくて良かった。
帰って調べると由良町との境にある、広川明神山風力発電所であることがわかった。
地球環境に優しい風力初電は、立地条件に合えば増えて欲しいが、東北や北海道に比べて、関西はかなり少ないようだ。


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稲むらの火の町・広川町

2008年05月29日 | △ 旅 あれこれ ドライブ




紀ノ川サービスエリアで子燕を見た日の続きである。

阪和自動車道を海南東インターで降りた。
海辺に近いところを車を走らせるには、R42を走るとどこかに行き着くだろうとの、計画性のない暢気なドライブをするのも、皐月の空の下では気持ちが良い。

有田に入ると櫁柑山が左手に続く。
山肌に大きな「有田みかん」のPRがあり、さすがみかんの里だと感心すると同時に、これは何で作られているのだろうと、興味を持って通り過ぎた。


新広橋を渡って、広交差点にきた時、「稲むらの火」という道路案内が目に飛び込んできた。
「稲むらの火」の後に、「町」が付いていたのか、「館」が付いていたのか瞬間であったので分からなかったが、とにかく「稲むらの火」に惹かれて標識の指す方向へといった。

戦後間もない頃、国語の教科書で習った「稲むらの火」は、地震や津波などの報道を目にするたび思い出すお話だった。
その頃の国語で習ったことは何一つ記憶にないが、このお話には強い感動を覚え、強烈な印象を子供心に受けたのは確かだ。
きっと担任の先生も感動を持ってこの教材を教えてくださったに違いない。

「大地震の後高台で海の様子を見て、その異状に気が付いた庄屋さんが、自分のうちの田の稲むら全てに火をつけて、村人に危険を知らせ多くの命を救った。」
事実に基づいたお話だったのが一層深い感動となっていた。

当時文部省国語は全国同じ教科書だったから、おそらく私と年代を前後する人達も習ってきたことだろうと思う。


町の中の狭い道をうろうろして行き着いたのは、漁船の繋留してある海辺だった。
とりあえずそこの駐車場に車を置いて、近くの喫茶店へ休憩もかねて入った。
目的は私の記憶の中の「稲むらの火」のことを尋ねたかったのだ。

居合わせた年配のお客さんにその話を切り出した。
「国語で習ったんだけど・・・」そう言ったら「いや、あれは修身やったで・・。何年生まれや?」「11年。」
「わしと、おんなじやな。修身の本にのっとったで。」
修身は徳目中心で、心を揺すぶられるようなお話はなかったとは、言えず、何より聞きたかったこの町の話をいろいろと教えてもらった。
「大昔の事やけど、この村に起こったことや、稲むらの館があるけど、今日は休みや。濱口梧陵さんの造った堤防もあるで。その辺歩いてみぃ。」


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濱口梧陵の「 稲むらの火」が今生かされている町
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「稲むらの火」は、安政元年11月5日 M8.4 震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』の時の話である。

「稲むらの火」に関連する事柄について記述のあるホームページの中で、リンクの許諾を得ているサイトをご紹介いたします。この中で、私が小学校の5年生の時感動した教科書の文も大きくして読むことが出来ます。





この町を散策した時、目に付いた、津波に対する避難誘導の表示である。
ことに、右のような矢印は、安全な地帯への避難を的確にしかも一目で分かるように指示している。
○○小学校へなどという緊急時の避難場所の表示を知らない町で見かけるが、そこに住んでいる人には、場所が分かるが、他所から偶然来た人には分からない。
一刻も争う津波について、過去の経験を生かしてこのような心配りがしているのだろう。

「海を見に行きたい」そんな気持ちのドライブだったが、「稲むらの火」の町で大きな収穫を得た。
「稲むらの館」は、月曜日が休館だったので、いつか機会を見て訪れたい。

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ユリノキに花が咲いて・上野運動公園

2008年05月28日 | ☆季節



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ユリノキに花が咲いた
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ユリノキはもくれん科だが、モクレンのように甘い香りがしない。
いつの間にか地味に花が咲いて、それも高い位置なので、気をつけていないと見過ごすことが多い。
この花は蜜を大量に出すともことで、それを求めて虫たちが飛んでくるのだろうが、たまたま望遠で写した中に1匹見つけたが、たぶん花の時期には沢山の虫たちがこの木の蜜を求めて飛んでくるに違いない。

お天気が悪かったり、行事があったり、なかなか上野運動公園でのウォーキングが出来なくて、今日久しぶりに出かけて歩いてきた。

このユリノキを写したのは、23日で、花が沢山咲いていたが、今日この1番背の高いユリノキには、もう花は何も見ることが出来なかった。
よく見ると、実になるような形だが、色が葉っぱと同じなので、分かりにくい。
花としてみる期間は短くて、次の命への繋がりの実として育つ期間の方が長いのは、ほかの植物も同じだ。
早い時写真に撮っていてよかったと思いながら、その木の下を通る度見上げていた。

台ケ原~教来石
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ツバメのお宿・紀ノ川サービスエリア

2008年05月27日 | △ 旅 あれこれ ドライブ



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マウスオン・ワンクリック・3画像

阪和自動車道紀ノ川サービスエリアの建物の軒下部分のあちこちに、ツバメの巣があった。
可愛い子ツバメが4羽一斉に精一杯に口を開けて、親ツバメが食事を運んでくるのを待っている場面に出くわした。
口をあけることに一生懸命とみえ、鳴き声は聞こえない。
暫くカメラを向けて、親鳥が帰ってくるのを待っていた。
いくつも巣があるので、親ツバメたちが、しきりにこの軒下と外とを飛び交っている。
ベンチに座って待とうとふとベンチに目を移すと、先客がある。
羽休めをしているのだろうと、邪魔をしないで立ったまま、様子を見ていたが、間もなく建物の裏の方に飛び立っていった。
あの4羽の子ツバメの親ではなかったようだ。
また、裏の方から飛んできた親ツバメが、別の巣の中に頭を突っ込むように巣にとまった。3枚目の画像である。
最初の4羽の子達は間もなく帰ってくるだろう親ツバメを待っていた。
早くご馳走を持って来ると良いね。



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マウスオン・2画像

親ツバメがしきりに出入りする建物の裏に回ってみた。
綺麗に整備された散策道と植え込みがあった。
柵の向こうに、町並みとさらに彼方には、紀州の山の連なりがあって、気持ちの良い眺めが広がっている。
紀ノ川が見えるかと、柵の隙間から眺めたが川は、丁度柵の上の横棒の辺りの竹やぶの並びに沿って流れているらしく、見ることは出来なかった。
自然に囲まれた柵の向こうが、ツバメの親たちが虫を捕らえてくるのにいい環境になっているらしく、多数のツバメの飛行を目にすることが出来る。
「ツバメが高く飛ぶ時は晴れで、低く飛び時は雨が近い」そんなことをいつか聞いたように思う。
虫の居場所が天候に寄るからだろう。
よく晴れた昨日は、元気にツバメが飛び交って子ツバメのための餌集めに精を出していた。
このサービスエリヤはツバメの子育てエリヤでもあった。

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