カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

買い物に行った5万人の森では

2012年10月31日 | ★食の楽しみ

 

   

  

10月も今日で終わりです。明日からは11月。 11月の声を聞くと同時に、冬の便りがやってきそうで、何か慌しいことです。

秋の好期を、この町でもいろんなイベントが計画されています。 今日夕方5万人の森に買い物に行きました。スーパーになくてここでいつも買っているものがありますので、いつものように駐車場の空いている頃に出かけました。

「あれ! これ何の準備?」新聞のチラシに入っていたのかもしれませんが、うっかりして見ていません。

帰ってからGoogleでしらべてみました。

「五條どえらいうまいもんフェスタ 2012」という食のイベントの開催のあることが掲載されていました。今度は「食欲の秋」へと、面白そうなイベントに行ってみようかと、今はまだ迷っています。

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まちや館 光の不思議

2012年10月30日 | ☆ ふるさと・大和

  

 

まちや館は、江戸時代末期の建物を修復しています。初代保安庁長官・木村篤太郎氏の生家です。お孫さんと同級生だったのと、実家が近かったせいもあり、時々遊びに来させてもらって、広い屋敷のあちこちは結構かくれんぼうに都合のよいお家だった印象が強く、ここがまちや館として開放されてからは、何度か訪れています。 

 

   

奥行は表通りから、裏通りまで美しい曲線の板塀の路地となっています。   

  

通りに面した格子は、江戸時代の伝統的な町屋建築の様式で、新町通りにはこのような建築がよく見られます。

     

大きな暖簾がスクリーンになって花火のような映像が映ります。ボランティアの方が、手を打って音を出してみてくださいといわれましたので、そのようにしますとスクリーンの模様がそのたびに変わるのです。観客参加型のアートというのでしょうね。

 

       

上の鯉の群れ泳ぐのは、足元に映し出される映像で、まるで畳の上が池になったようで、そこと同じ地点に立っている自分まで鯉の池の仲間入りをしたような錯覚を起こします。

下の金魚が1匹、これも畳の上(ひょっとしたら床の上だったかも)を、悠々と泳いでいます。暫くしたら津波のような水の流れが向こうから来て、金魚は流されていきます。画像の下の赤いのがさっきまで悠々と泳いでいた金魚です。

好奇心の強い私は映し出される映像が面白くて、このアートが光の作り出すものであるという原理などは、器械に弱いので理解できなくても、結構感動するものがありました。  

  

この箱階段を登りますと二階に着きます。 

  

ネコちゃんが海を眺めています。暫くしますと海に太陽が入ったようです。なんだか孤独なネコちゃんです。何を思っているのでしょうね。 

   

  

上の黒い画面は、昔懐かしい蚊帳に映る映像で、蚊帳は立体的ですので、映像も階下の暖簾のスクリーンとはまた違った面白さがありますが、平面的な写真ではその妙は表現できなくて残念です。また障子には新町通りの名前が次々と光と共に動いていくのですが、それもこの画像ではだめ。動画で撮れば面白いだろうと思いました。

「はならぁと」は昨年はじめて開催されました。昨年のテーマは、町家と現代アートとの「出会い」でした。 今年のテーマは「つなぐ」です。昨年の出会いを大切にして、住む人・訪れる人・創る人・見る人たちのつながりが生まれることをと、主催者の方の挨拶文にありました。

光のアートに夢中になって眺めたり音を鳴らしたり、私も「つながり」の輪の一つだったのかもしれません。

    

土間に下りてみました。この2畳の部屋が、木村篤太郎氏が勉学を積んだ部屋だそうです。その横にはつるべ井戸があります。 

  

これは外ではなくて屋敷の中で昔は蔵だったのでしょうね。公開されているこのような町屋を見学するのも当時への想像が広がるのじゃないかと・・・。

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奈良・町屋の芸術祭 はならぁと2012

2012年10月29日 | ☆ ふるさと・大和

  

 

 

27日(土)から五條市新町エリアで、町屋の芸術祭が開催されています。丁度地方のお祭りに当たっていたので、お祭りの済んだ今日29日の午前中に、新町へ行ってきました。  

      

午前中だったせいか、人通りの少ない静かな通りでした。町並み伝承館に駐車して会場を回りましたが、お昼前の帰りの頃には、駐車場が一杯になっていましたので、平日でも興味のある人の訪れが多いのだと、長い時間駐車していたことが申し分けなく思いました。

 

  

暖簾は掛かっていましたが、玄関の戸が締めてあったのが気にかかります。風の冷たい日でしたが、まだとを閉めていくほども寒くないのですから、せめて「はならぁと」の間は、とは開けておいて暖簾をくぐって入るようにしたほうがいいと思います。 

 

  

伝承館は庭の手入れをして町屋らしいいい雰囲気です。 

 

       

伝承館に展示の作家さんのアート作品は、みんな写真に写させてもらったのですが、紙面の都合上この五作品だけのアップになりました。伝統的な木彫と、異素材との組み合わせの作品を観ながら、古い町並みの歴史的なものと、現在アートのコラボが、難しいことは分かりませんが、何の違和感もなく古民家に収まっている作品を楽しみながら、鑑賞しました。

   

伝承館の裏の離れには、上のようなたて看板があり、絵画の展示場になっていましたので、ここではゆっくり鑑賞しました。この会の制作旅行にいつも誘っていただくので、どの絵画の作家さんも知人でとても興味深くこの町の名所や歴史的な題材が画かれていますので、それぞれの作品に没頭するように観させて頂きました。

   

  

今日の夕方のテレビで、「町の芸術祭」のこの町の会場の様子を放映していました。驚くような作品にも触れ私の芸術の秋への一歩足を踏み入れる日になりました。 

 

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御霊神社のお祭り 二基の神輿のお渡り

2012年10月27日 | ☆ ふるさと・大和

五條市霊安寺町の御霊神社の秋祭りが、今日27日が宵宮で、明日28日は本宮です。明日は雨の心配があるのですが、今日は秋晴れに恵まれ、御霊神社から大川橋を渡ってR24手前のお旅所(恵比寿神社)まで、古式通りの、二基の神輿によるお渡りの行列が行われました。

これは、「風輦(ほうれん)みこし渡御(とぎょ)」といって、40年ぶりに行われた御霊神社の神事でした。   

  

御霊神社は由緒ある神社です。五條市には数多くの御霊神社がありますが、その本宮がこの神社です。

  

ご祭神の井上内親王は聖武天皇の第二皇女で光仁天皇の皇后でしたが、『続日本紀』宝亀三年(七七二)三月癸未と同年十月辛酉の条によると、巫女に天皇を呪詛させたとの罪で皇太子の他戸親王と共に廃され、宇智郡に幽閉、同六年四月二十七日、母子ともに死去したと記されています。しかし親子が同じ日に亡くなる事自体おかしいことであり、この事件は藤原百川の謀略によるものとの噂が当時の世間に流布されました。同七年(七七六)九月と翌年冬に天災地変がしきりに起こり、皇后や皇太子の怨霊と恐れられたため、霊安寺が創立されて両者の霊を弔って建てられたのが、御霊神社です。その後二人には皇后 皇太子の身分も戻され、現在の御山町に、「井上(いがみ)内親王の御陵」があり、厚く葬られています。

  

金具や屋根の上の鳳凰の飾りがある二基の神輿です。左は元禄3年に新調された神輿で、現在は台車で引かれる様にしています。右の木造黒漆喰塗りの神輿はいつ造られたのか不明で、台車はなく担い手によって、担がれてお旅所まで大変な力のいることなので、40年間は、元禄神輿だけだったのですが、今年は担い手を募集して、揃った所で、二基のお渡りが実現したわけです。 

  

境内の外では、子供神輿がスタンバイです。

午前中拝殿で、お祭りの神事が行われていました。

五條恵比寿神社のお旅所までの、お渡りの行列は午後から始まりました。以下写真のみです。

      

        

  

  

  

  

五條病院の前で、神輿行列を待って、目の前を通過するごとにひたすら写していきました。このようなお渡りの行列を、わが町で見たのは初めてです。大抵は住む地区の神輿と子供みこしは、家の前の通りに出てみるくらいでした。今年は、40年ぶりと新聞に出ていましたので、野原町まで出かけましたが、やはり神輿だけでなく行列の人たちの持ち物なども、御霊神社にはこんな古式豊かなものが引き継がれていたのかと、再確認した日でもありました。 

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斑鳩散策 藤ノ木古墳と秋桜

2012年10月25日 | ☆ ふるさと・大和

 

  

法隆寺西大門を出て、閑静な住宅街を西へ西へと歩くうち、その辺りのあちこちの休耕田らしい所に、秋桜畑が沢山あって、何処も花の盛りを向かえ、優しい色が咲き乱れて、秋たけなわの西の里の散策を楽しみました。 

  

このような秋桜畑が、あちこちに見られます。法隆寺まで来ても、この藤ノ木古墳辺りまで足を伸ばす人が少ないのは、惜しいような美しい光景です。

  

古墳の北側の少し高くなったところから見ますと、刈り取りの済んだ田の株が綺麗に並んでいます。古墳に一番近い秋桜畑が右の方に見えましたので、歩いたことのない道でしたが、見当をつけて住宅の横の細い道を降りていきました。 

 

途中の道端の秋桜と、柿の実が古墳の後ろ側を飾るように、秋を謳歌しているようです。 

  

  

   

古墳の真後ろに咲いている秋桜畑です。折からの風に吹かれて揺れる様子が、まるで少女のバレリーナの群れのようです。

古墳に葬られている二体の貴人とその副葬品の見学の時の有様が、ここに立つといつも目の辺りに浮かんできます。発掘当時は緑の芝生も育ってなくて、土饅頭のようだった古墳が、緑に覆われ、秋には秋桜の花の満ち溢れる自然環境の中で、静かな眠りについている古代の貴人にふさわしい所だと思いました。

 

 

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