カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

最後の輝き

2004年11月30日 | ☆ ふるさと・大和

いつものウォーキングロードの銀杏並木が、一番綺麗な時を迎えている。
最後の輝きである。

銀杏並木は、季節ごとの美しさがあってこの下を歩くのが楽しいが、やはりこの時期の見事さには春夏の色合いは勝てない。



道路脇には、散り始めた葉が両側に固まって続いている。

車が通るたびに、ちらちらと飛び交う。

お昼の間散らばっていた葉がいつかもとの道の両側に集まってしまっている夕方の並木通りである。

束の間の最後の輝きを終える日も近い。
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川霧の立つ町

2004年11月29日 | ☆ ふるさと・大和

この町を東西に流れる川がある。
東は、奥吉野の、山々から流れくる水を集めた吉野川で、西は県境を越えると紀ノ川になる。

 朝の冷え込みの強い日は、雨戸を開けると吉野川に沿って、帯のような霧が目に飛び込んでくる。

もっと早い時間には、町全体が霧のベール包まれて太陽もベールの向こうに、朧な姿である。


この、朧な太陽が、川面を温めて町が霧に覆われるのだ。
霧は、山の手の方から消えて行き、やがて、川筋に沿った帯のようになる。
こんな日は、快晴が期待できる。

寒いなあと思いながらも、雨戸を開けて、朧な太陽を見る時、わくわくする瞬間である。

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万燈籠に偲ぶ

2004年11月28日 | ▼ 思い出綴り
春日大社の参道には両側に石燈籠が列を成している。
苔むして、寄進者の彫りなどの文字が読めなくなってしまっているのも多い。
境内、全てで約三千基の数という。
この燈籠に明かりが灯されるのは、節分とお盆である。
全ての明かりが消され、石燈籠と本殿の吊燈籠に蝋燭の燈が入れられる。


万燈籠といわれるその時にたった1度だけ行った事がある。
節分の万燈籠の夜を是非見たいと、言う父の希望で両親を連れて、娘の家族と合流して、夕方春日大社に最も近い駐車場に車をいれ燈が灯されるのを待ってお社に向かった。

厳寒の時期、完全防寒のに皆身を固めていたのでそう寒さは感じなかった。
しかし喘息の持病のある父は、本殿にお参りできるか内心心配だった。
父の傍を歩きながら、石燈籠の紙を通した淡い燈の、幽玄の世界そのものを堪能し喜ぶ父を見て、連れてきてよかったと思わずにいられなかった。
本殿にお参りして、回廊の吊灯篭下を、呼吸を整えるように、ゆっくり歩く父と母。
全寮制の師範学校で学んだ父の学生の頃と変わりなかったと、父は帰りの車の中で話してくれた。

その日を最後に父は、遠くまで車で行くことはなくなった。
ここに来ると在りし日の父が、喜んでくれたことを思い出す。


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奈良・大仏様

2004年11月27日 | ☆ ふるさと・大和
春日大社から、南に下ると新公会堂辺りで、視界に入る輝く鵄尾を載せた大きな屋根。
この風景は、奈良に行けばいつも見慣れているが、今回は、知人の奈良訪問が「大仏を見たい」という事だったので、南大門を入り、大仏殿へと向かった。

 ここでも人出は多いものの、混み合っているという感じでなく、前日の京都と比較して、ゆったり、のんびり、大仏様と会い、対座し(実際は遥か上のお顔を拝顔)、建立当時の様々な階級の人々の願いや暮らし、携わった数知れない人の労役などに、しばし心を馳せる時を過ごした。
大抵の寺院では、内部の撮影は禁止されているが、ここでは、大仏様はもとより、内陣の全ての撮影が許されていることも、大仏様同様に、おおらかでゆったり、何もかも受け入れられる安堵感があって嬉しい。 
 右手の方にある、太い柱の下に、穴がある。大仏様の鼻の穴だと小さい頃に聞いた。(事実は確かめていないが・・・)その穴を何度かくぐり抜けた思い出がある。
その柱の穴をくぐり抜けている女の子に、昔の自分を重ねて、微笑が思わず出る。今私は抜け出ることが出来るのかしらと思い、可笑しくなる。

  国宝の八角灯篭。4,62mとこれも大きい。写真に撮ってみると、周りの人物との対比でなるほどと思う。
外から見て、通り過ぎるだけであったが、久しぶりに拝観した、大仏様に、「お迎えの来る日まで、自分の足で行動する元気を下さい」と欲張りで、本音のお願いをした。
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奈良・土壁の続く道

2004年11月26日 | ☆ ふるさと・大和

奈良で最も好きな道は、東大寺裏から二月堂への裏参道である。
学生の頃のことである。休講で時間が空くと物研(物理研究室)を覗いてみる。

白衣を着た彼が出てくる。授業中ならここには居ない。研究中でなかったら、どちらからともなく、足が裏参道に向かう。いつ歩いても、この参道の何処かに、何人かの人が絵を描いていた。



土壁の続く石畳の道が、二月堂へと登り坂になって続く。
土壁はそのままの色合いで、土を塗り積み上げる毎に、瓦が丁寧に塗り込められている。
その素朴なたたずまいが、古都を実感させてくれる。


土のぬくもりと、素朴な瓦の並び具合が面白い。この風景が、40数年前と変わりなければ、ここを画題にと描く人達が居るのも昔のままである。
このように、昔も今も変わらず残っていることが古都の古都たる所以であろう。

物研の彼はその後、縁があって夫と呼ぶ人になった。
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