春日大社の参道には両側に石燈籠が列を成している。
苔むして、寄進者の彫りなどの文字が読めなくなってしまっているのも多い。
境内、全てで約三千基の数という。
この燈籠に明かりが灯されるのは、節分とお盆である。
全ての明かりが消され、石燈籠と本殿の吊燈籠に蝋燭の燈が入れられる。
万燈籠といわれるその時にたった1度だけ行った事がある。
節分の万燈籠の夜を是非見たいと、言う父の希望で両親を連れて、娘の家族と合流して、夕方春日大社に最も近い駐車場に車をいれ燈が灯されるのを待ってお社に向かった。
厳寒の時期、完全防寒のに皆身を固めていたのでそう寒さは感じなかった。
しかし喘息の持病のある父は、本殿にお参りできるか内心心配だった。
父の傍を歩きながら、石燈籠の紙を通した淡い燈の、幽玄の世界そのものを堪能し喜ぶ父を見て、連れてきてよかったと思わずにいられなかった。
本殿にお参りして、回廊の吊灯篭下を、呼吸を整えるように、ゆっくり歩く父と母。
全寮制の師範学校で学んだ父の学生の頃と変わりなかったと、父は帰りの車の中で話してくれた。
その日を最後に父は、遠くまで車で行くことはなくなった。
ここに来ると在りし日の父が、喜んでくれたことを思い出す。