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二年ぶりに、自転車といふやつに乗る。
ふだんは歩行者の立場で、走ってゐる自転車を傍観してゐるが、「アイツ阿呆やな」と呆れるのはいても、「あの人は上手いな」と思はせるやうなのは、まずいない。
今回はその「阿呆やな」と思はれかねない側に廻ったわけだが、さういふ意識でいるせいか、実は常にキケンが付きまとふ乗り物であることに、今さらながら改めて気が付く。
有象無象にウンザリするやうな場所には、絶対に乗り入れたくはない──手許ばかりの明き盲目に、必ず一体は出くはす。
駐める場所に苦労する街中など、けっきょく素通り──数分で数百圓の駐輪料金などイヤラシイ商売ではないか。
街も町も、自転車に不親切な造りとなってゐる──狭い道に後付け然としたナビラインなど、却って危なっかしいだけ。
私が自転車の使用をやめた理由を改めて思ひ出してゐると、商用車同士が“こっつんこ”したらしく、一人のドライバーが路肩で警察官に、半ば昂じた態で事情を説明してゐた。
あんなものは結局のところ、「どっちもどっち」である。
それは自転車とて、同じこと。
安全に目的地にたどり着き、また無事に棲家へ帰り着かふと思ったら、
相手の「安全意識」といふものを、
絶対に期待も信用も、
してはいけないのだ。