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久しぶりに“道成寺物”の舞踊が觀たくて、淺草公會堂の初春淺草歌舞伎へ出かける。
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淺草公會堂の初春芝居は人災疫病禍のため中止が續き、今回が三年ぶりの再開云々、私も學生時代に一度觀たきり數十年ぶりの淺草初芝居。
目當ての道成寺舞踊は「京鹿子娘道成寺」を原曲とする「男女道成寺(めおとどうぜうじ)」、
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原曲のはうは今やお客を呼べるだけの役者が拂底のため上演が途絶えて久しいが、今回のやうに二人立ちならば、まだ何とか役者が確保できるやうだ。
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(※左 二代目尾上松緑の白拍子櫻子實は狂言師 右 六代目中村芝翫=六代目中村歌右衞門の白拍子花子 昭和二十五年九月 東京劇場)
白拍子實は狂言師のはうは踊りが舞踊家のそれであって役者のそれではなく、劇界随一の名手だった亡父の面影さらに無し。
“鞠唄”で狂言師に絡む所化(坊主)の大部屋たち──名題と云ふ名譽稱號を持つ者も含め──、日頃の三階根性で萎縮してゐるのか何なのか、もふ少し上手く出来ないものかと思ふ。
そもそもそれだけの技量(うで)が無いにせよ、せっかくの好機も活かせぬやうでは何のための役者人生やら。
しかし白拍子花子に扮した女形に、運さへ良ければ将来大物になれるだけの資質があるのを見、それがこの一幕の景事を胸熱くさせた。
序幕には「双蝶々曲輪日記 引窓」が出たが、
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かうした人情噺は母お幸に扮した上村吉弥(みよしや)が見事に示した如く、何よりその演者の人生經験──“年輪”で魅せる難物であり、年輪のない若木がいくら型(演技)と調子(台詞)を「オジサン」から教はってなぞってみたところで、手も足も出るものではない。
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(※初代中村吉右衛門の南方十次兵衞)
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(左 初代吉右衛門 右 三代目中村時藏の女房お早 大正十五年七月 歌舞伎座)
歌舞伎らしき台詞廻しに口馴れた前進座歌舞伎、といった程度に留まったもやむなし。
──ただ、若いうちにたくさん挑戰して、たくさん失敗しておくことには、賛成である。