“高島陽也”
はい、それがわたしの名前です。
“陽也”は、“はるや”って読みます。
はい。本名です。
芸名じゃなくて。
ええ、皆さん驚かれます。
女性なのに、男名前なんで。
なかには、男性から性転換手術したと思っている方がいたりするんですけど、わたしは生まれながらの、正真正銘の、女性です。
決して、ニューハーフじゃないです。
そこんとこヨロシク、です。
性格だって、別に男っぽくないですよ。
オトコっぽくしたいと思ったこともありませんし。
フツーの女性、のつもりです。
まぁね、小学生の時はよくある話しで、男子たちにからかわれたりして―『ハ~レルヤ♪』とか言われて…―イヤな名前だと思っていましたし、両親に名前を変えてほしいと本気で訴えたこともありましたけど、現在(いま)はとても気に入っています。
あ。そう言っていただけると嬉しいです。
ありがとうございます。
そもそも、こんな紛らわしい名前をつけたのは、父なんです。
ホントは男の子が欲しかったので男名前を付けた、とか、そんなよく聞くありふれた理由からではなくて、産まれたてのわたしの顔を見て、イメージとしてパッと頭に浮かんだ名前が、“陽也・はるや”だったんですって。
なんだか変わった父でしょ。
仕事は、地元の福岡で、地域情報誌の編集者をしている人なんですけど。
はい、わたしは福岡県の出身なんです。
福岡県は福岡市、東区の三苫と云う、玄界灘に接した町です。
はい?わたしが日本舞踊を習い始めたのは、ですか?
それは中学二年生の時です。
きっかけ…。
うーん、それがですねぇ…。
なんとなく、って言うのが本当のところなんです。
ただ、わたしが小学六年生の時に亡くなったお祖母ちゃんが、趣味として日本舞踊を習っている人だったので、わたしのはたぶん、その“血”なんじゃないかな、って思っています。
親戚に、他に芸事をやっている人は一人もいませんし。
わたしの日舞の先生は年配の女性の方で、とにかく基礎を徹底的に何度も稽古する方針の方なんです。
「いいですか。大事なのは基礎を何度も稽古することです」
が口癖で。
ですからなかなか稽古が先へ進まなくて、「またコレをやるのか…」ってウンザリしたこともありましたけれど、でもこのことが、後でお話しすることになりますけど、どれだけ自分の貴重な“財産”となったことか…。
女優を目指すきっかけも、日舞を通してなんです。
毎年四月に、一般市民が参加して上演される「ふくおか市民ミュージカル」っていうのがありまして、それに先生が毎回、振付スタッフとして係わっていて、「あなたもちょっと出てみませんか」って声を掛けてくれたことがきっかけです。
それが高校一年生の時です。
この時の演目は「うらしま」、要するに浦島太郎のお話しで、わたしは竜宮城のシーンで乙姫様と一緒に舞を舞う、大勢の侍女のなかの一人の役でした。
これが、わたしが人前に立った初めです。
はい、すごく楽しかったです。
人前でなにかやるのって楽しいな、って。
それを仕事にできたらいいなぁ、と思うようになって、それが「女優さんになりたい」という思いに繋がっていって…。
東京に出てきたのは、地元の高校を卒業してすぐです。
都内に女性専用アパートを見つけて、実家からの仕送りと、ファミレスでのバイトで収入を得て、一人暮らしを始めました。
プロダクションにも、幸いすぐに入ることができました。
池袋にあるすごく小さな事務所だったんですけど、ところがこれが、業界に全然チカラの無い事務所で、まわってくる仕事と云えば、ドラマとか映画のエキストラばかり。
それも、ボランティアエキストラ、というやつ。
つまり、ノーギャラ。
そんなのインターネットとかで検索すれば、いくらでも一般公募しているし、だったら事務所にいる意味ないじゃん…、みたいな。
事務所のたった一人のマネージャーは、「そういうところからじっくり顔を売り込んでいくんだよ」とか言ってましたけど、そんなのは現場に行ったことのない人のセリフで、実際に行けばわかりますけど、エキストラって興味本位で応募した一般公募のシロウトさんたちと完全にごちゃ混ぜの、十把一絡げ的扱いで、スタッフさんとかに、「はーい、では“一般ボランティア”の皆さんお待たせしました、間もなく本番ですので準備の方をヨロシクでーす」なんて言われたりして、顔を売るなんてとんでもない雰囲気です。
こんなどうしようもない状態が、一年半くらい続きましたかね。
日本舞踊で学んだことを生かした女優活動を夢見て上京したのに、こんなんじゃ意味ないじゃん…!って、事務所に対してかなり不満が溜まってきた頃です。
生田杏子さんに会ったのは。
〈続〉
はい、それがわたしの名前です。
“陽也”は、“はるや”って読みます。
はい。本名です。
芸名じゃなくて。
ええ、皆さん驚かれます。
女性なのに、男名前なんで。
なかには、男性から性転換手術したと思っている方がいたりするんですけど、わたしは生まれながらの、正真正銘の、女性です。
決して、ニューハーフじゃないです。
そこんとこヨロシク、です。
性格だって、別に男っぽくないですよ。
オトコっぽくしたいと思ったこともありませんし。
フツーの女性、のつもりです。
まぁね、小学生の時はよくある話しで、男子たちにからかわれたりして―『ハ~レルヤ♪』とか言われて…―イヤな名前だと思っていましたし、両親に名前を変えてほしいと本気で訴えたこともありましたけど、現在(いま)はとても気に入っています。
あ。そう言っていただけると嬉しいです。
ありがとうございます。
そもそも、こんな紛らわしい名前をつけたのは、父なんです。
ホントは男の子が欲しかったので男名前を付けた、とか、そんなよく聞くありふれた理由からではなくて、産まれたてのわたしの顔を見て、イメージとしてパッと頭に浮かんだ名前が、“陽也・はるや”だったんですって。
なんだか変わった父でしょ。
仕事は、地元の福岡で、地域情報誌の編集者をしている人なんですけど。
はい、わたしは福岡県の出身なんです。
福岡県は福岡市、東区の三苫と云う、玄界灘に接した町です。
はい?わたしが日本舞踊を習い始めたのは、ですか?
それは中学二年生の時です。
きっかけ…。
うーん、それがですねぇ…。
なんとなく、って言うのが本当のところなんです。
ただ、わたしが小学六年生の時に亡くなったお祖母ちゃんが、趣味として日本舞踊を習っている人だったので、わたしのはたぶん、その“血”なんじゃないかな、って思っています。
親戚に、他に芸事をやっている人は一人もいませんし。
わたしの日舞の先生は年配の女性の方で、とにかく基礎を徹底的に何度も稽古する方針の方なんです。
「いいですか。大事なのは基礎を何度も稽古することです」
が口癖で。
ですからなかなか稽古が先へ進まなくて、「またコレをやるのか…」ってウンザリしたこともありましたけれど、でもこのことが、後でお話しすることになりますけど、どれだけ自分の貴重な“財産”となったことか…。
女優を目指すきっかけも、日舞を通してなんです。
毎年四月に、一般市民が参加して上演される「ふくおか市民ミュージカル」っていうのがありまして、それに先生が毎回、振付スタッフとして係わっていて、「あなたもちょっと出てみませんか」って声を掛けてくれたことがきっかけです。
それが高校一年生の時です。
この時の演目は「うらしま」、要するに浦島太郎のお話しで、わたしは竜宮城のシーンで乙姫様と一緒に舞を舞う、大勢の侍女のなかの一人の役でした。
これが、わたしが人前に立った初めです。
はい、すごく楽しかったです。
人前でなにかやるのって楽しいな、って。
それを仕事にできたらいいなぁ、と思うようになって、それが「女優さんになりたい」という思いに繋がっていって…。
東京に出てきたのは、地元の高校を卒業してすぐです。
都内に女性専用アパートを見つけて、実家からの仕送りと、ファミレスでのバイトで収入を得て、一人暮らしを始めました。
プロダクションにも、幸いすぐに入ることができました。
池袋にあるすごく小さな事務所だったんですけど、ところがこれが、業界に全然チカラの無い事務所で、まわってくる仕事と云えば、ドラマとか映画のエキストラばかり。
それも、ボランティアエキストラ、というやつ。
つまり、ノーギャラ。
そんなのインターネットとかで検索すれば、いくらでも一般公募しているし、だったら事務所にいる意味ないじゃん…、みたいな。
事務所のたった一人のマネージャーは、「そういうところからじっくり顔を売り込んでいくんだよ」とか言ってましたけど、そんなのは現場に行ったことのない人のセリフで、実際に行けばわかりますけど、エキストラって興味本位で応募した一般公募のシロウトさんたちと完全にごちゃ混ぜの、十把一絡げ的扱いで、スタッフさんとかに、「はーい、では“一般ボランティア”の皆さんお待たせしました、間もなく本番ですので準備の方をヨロシクでーす」なんて言われたりして、顔を売るなんてとんでもない雰囲気です。
こんなどうしようもない状態が、一年半くらい続きましたかね。
日本舞踊で学んだことを生かした女優活動を夢見て上京したのに、こんなんじゃ意味ないじゃん…!って、事務所に対してかなり不満が溜まってきた頃です。
生田杏子さんに会ったのは。
〈続〉