鎌倉歴史文化交流館の企画展「北条氏150年 栄華の果て─鎌倉幕府滅亡─」を觀る。
八代執權北條時宗の跡を繼ひで十四歳で九代執權となった貞時の青雲と挫折、その息で最後の得宗となった高時、
その遺児にして生涯を反逆児として送った北條時行、鎌倉幕府滅亡後は北條氏發祥の伊豆に移り、足利幕府からの援助を受けつつ尼僧として静かに晩年を過ごした北條貞時の妻・覺海圓成院──
主に元弘三年(1333年)五月二十ニ日に幕府が滅亡した後の北條氏の運命を、出土品と文書から追っていく。
(※東勝寺跡から出土した陶器類)
なにより建武二年の“中先代の亂”でしかその名を知らぬ北條高時の遺児時行(相模次郎)について、文和二年(1353年)五月二十日に鎌倉郊外の龍口で処刑されたと確かな記録にあることを知り、
(※龍口刑場跡に建つ龍口寺)
幼くして滅亡一族の生き殘りとして世を渡り、結局は生き殘り通すことなく二十代半ばで命を落とした運命の苛烈さに、もっと天が味方してゐたらどんな人生を送ったのだらうと、歴史では禁物とされる“もしも”を想ふ。