もともと八王子で生産された絹織物を横浜へ運ぶために中央本線の支線として敷設され、昭和50年代まではSLも走っていた現・JR横浜線―開業当時は“八浜線(はっぴんせん)”が、今年で開業100周年を迎えました。
横浜線ではそれを記念して、一部の編成の前面に記念プレートを掲げて運行しているのですが、何せ一部だけなので、なかなかお目に掛かれません。
ところが、横浜線に乗る用事があって駅で待っていたところ、なんといきなり件の編成が!(写真)
昭和63年頃まで走っていた103系は、山手線や京浜東北線からの転用車であったため、それらと区別するため前面に「横浜線」とデカデカと書かれたプレートを付けていたものですが―ウグイス色の車両のなかにスカイブルーの車両が混ざった編成や、全てスカイブルーの編成があったりと、色彩的にも楽しかったものです―、車両は後輩の205系ながら、あの当時を思い出させる懐かしい光景でした。
ま、鉄道ファン以外には何の価値も無い話しですけれどね…。
横浜線ではそれを記念して、一部の編成の前面に記念プレートを掲げて運行しているのですが、何せ一部だけなので、なかなかお目に掛かれません。
ところが、横浜線に乗る用事があって駅で待っていたところ、なんといきなり件の編成が!(写真)
昭和63年頃まで走っていた103系は、山手線や京浜東北線からの転用車であったため、それらと区別するため前面に「横浜線」とデカデカと書かれたプレートを付けていたものですが―ウグイス色の車両のなかにスカイブルーの車両が混ざった編成や、全てスカイブルーの編成があったりと、色彩的にも楽しかったものです―、車両は後輩の205系ながら、あの当時を思い出させる懐かしい光景でした。
ま、鉄道ファン以外には何の価値も無い話しですけれどね…。
とにかく車両の色がばらばらで、国鉄はこういうものなんだと思い込んで乗っていた昔が懐かしい。
当時昼間は1本逃すと20分待ちぐらい間隔が空いてしまうので、出歩くには文庫本が必携でした。
国鉄「原町田駅」の記憶もおぼろげにある世代の思い出話でございます。お粗末。