迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

予想だにしないことの楽しみ。

2018-08-28 18:54:10 | 浮世見聞記
十年前の平成二十年夏、愛知県の明治村に移築保存されてゐる“旧宇治山田郵便局”にて、十年後の自分に宛てて書き送った手紙が届く。


それまで十年と二ヶ月いた組織を「自分の意志で」離れ、新しい世界へ歩み出さうとしてゐた当時の私が、夏の鉄道旅行の行程で明治村を訪れた際、その記念のつもりで、したためたものだ。

「これから東海道本線に乗って東京へ帰り……」の一文に、新たな第一歩を踏み出さうとしてゐた瞬間の私が、なんとも生々しく表れてゐる。


そして十年後の夏──


手紙を綴った当時の私が想ひ描いていた人生と、現在の実際の人生とは、だいぶ違ってゐる。

しかしそれは、私にとってもっとも納得のいく、もっとも私らしい生き方を得られた結果と云ふことだ。


自分が師匠より許された藝名を再び活かして手猿楽を興し、自ら作品を創り、それを披露する場まで得られるやうになるなど、十年前に手紙を綴った当時の私は、まったく思ひもしなかったことだ。




その十年前、気さくに付き合ってくれた人生の先輩から餞別にいただいた履物が、先日の衣装整理の時に出て来た。



その先輩と顔を合わせる機会はさう多くなかったが、しかし会へば必ず親しく話しかけてくれたり、また質問したことには必ず答へてくれたりした。

毎日のやうに顔を合はせてゐた同列は露骨に素知らぬ顔をしていたが──なかには様子探りの肚でその後も親しげに接触を求めてくる者はゐたが──、最後の一日に出逢ったこの思ひがけない心遣ひは、深く心に沁みたことだった。

私はその時、「いつか世に出たときは、必ずこの履物をはひて闊歩します」と約束したものだ。

先輩はただ笑ってゐたが、私は現在(いま)も本気である。



そして私は、今日を歩く。




振り返って考へると、

やはり人生は、

いろいろあったはうが、

面白い。
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