迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

よって普段のごとし。

2019-05-07 10:44:42 | 浮世見聞記

ミカドの年齢的問題による人事異動、それに連動した改元──



ただそれだけの話しに、

有象無象は「メデタイ、メデタイ」と、

所詮なんの考へもなく浮かれ立ち、

出て来なくてもよいのにゾロゾロと、

休み呆けのうろたへ眼で棲家を這ひ出して、

暑気に当てられ昏迷する間抜けさよ──




知ったかぶりは知ったやうな面相(かほ)をして、

無闇矢鱈と“明日”を論ずれど、

もとより案ずるにァ及ばねぇ。

「なァに、おめぇなんざァその時代(とき)まで、生きてちゃいねぇやな」──




そんな無駄に長いだけの乱痴気連休もやっと終息し、街は常の流れとなり──善し悪しはさておき──、やうやう人心地つく。



これだけ異國と異人にかぶれた當世に、いまさら「日本らしい文化」云々など、白々しいばかりの空言なり。


私はもちろんこの御代に何ら気持ちは無く、

いつもの道を、

いつもの通りに、

今日も歩くだけのことである。






駅の構内に、燕が巣をつくる。



五月になれば、必ず訪れる福の神。

人間が作為した浮世を超越した存在。

自然の常に、人間の思惑などなんら意味を為さない。


それを知る幸せにあやかる嬉しさよ。




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