私が本来の私になれる時間──朝のラジオ放送で謠曲に耳を傾ける。
前後のシテを通じて、哀しみの内から率直な怒りを權力者に見せるところがこの曲の特徴なれど、しかしそれをつとめて静かに謠ふことで、思ひの深さを強く訴へる。
そんな泣き寝入りをしない姿からか、近年では反戰思想の曲といふ見方をする向きもあるやうで、そのやうないかにも現代的な解釈も許す度量の大きさが、六百年以上の齢ひを保つ猿樂の深いところである。
今日は寶生流の「藤戸」が謠はれる。
漁師だった我が子を理不尽に殺された女が、新たな領主となって現れた加害者に、我が子を返せと強く迫る──
前後のシテを通じて、哀しみの内から率直な怒りを權力者に見せるところがこの曲の特徴なれど、しかしそれをつとめて静かに謠ふことで、思ひの深さを強く訴へる。
そんな泣き寝入りをしない姿からか、近年では反戰思想の曲といふ見方をする向きもあるやうで、そのやうないかにも現代的な解釈も許す度量の大きさが、六百年以上の齢ひを保つ猿樂の深いところである。
私が「藤戸」を舞台で観たのは、まだ能を観始めたばかりの學生時代、銕仙會公演の仕舞によってだ。
たしか同じ能樂師で二度目にしてゐるはずで、後シテの若い漁師が刺し殺されて海に沈む様を、練れた静けさのうちに表はしてゐたと記憶してゐる。
その後、なにかの機會でこの「藤戸」をもとにした脚本を書ひたところ、中身に目を通されることもなく没にされた思ひ出もある。
現在(いま)にして思へば早熟に過ぎたわけで、可笑しくもある。
しかしいま、やりたいことを自由に表現するための自分の活動におゐては、共演者も助演者も決して求めないと決めてゐるのは、あの経験もどこかで活きてゐるはずだからだ。
さういふ意味では、あのとっくに行方不明になった脚本も、實はまだ活きてゐるのである。