迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

三宅坂の毛越寺。

2018-06-16 23:24:07 | 浮世見聞記
国立劇場で、「毛越寺の延年」公演を観る。


岩手県西磐井郡平泉町にある毛越寺の「延年の舞」は、猿楽以前の中世藝能の形態を色濃く傳へてゐるといふことで、一度は観に出掛けたいと願ひながらなかなか叶はずにいたが、国立劇場の民俗芸能公演といふ形で、ようやく叶った。


延年の舞は毛越寺境内の常行堂で、毎年一月二十日に行はれる法要「常行三昧供」において奉納される法楽藝能として、傳承されてきた。

その常行堂の内陣を再現した舞台で──その見事な写実ぶりはさすが国立劇場の大道具だ──、



清々しい鈴の音色が胸に沁み入る「若女•禰宜」、そして「老女」が舞はれる。

伴奏音楽は一切無く、演者の手にした鈴だけが唯一の音、その静かな響きは陸奥(みちのく)の大地にしんしんと降る雪を思わせる。


つづく「花折」といふ児舞(ちごまい)では、舞楽風の衣裳を着けた二人の少年が、中啓の親骨をつまむ独特の手つきも鮮やかに、謡ひ舞ふ。

ここで四人の僧による地謡が入るが、旋律は読経のそれに近く、寺院に属しながらやがて大衆のなかに、そして時代(とき)の権力者へと取り込まれていった猿楽能のそれとの大きな違ひに、それぞれの辿った足跡が窺へて興味深い。


最後は、世阿弥以前の猿楽能の姿を傳へてゐるとも云ふ“延年の能”のうち、唯一復興された「留鳥(とどめどり)」。

難波の里に住む老夫婦の愛でる梅を、あるとき帝から召し出せと勅が下るが、老夫婦は上京すると帝へ歌を一首献上し、その見事な歌に帝は梅の召し出しを取りやめる。

老人は実は菅原道真の霊で、帝は冠の巾子を地に着けて三拝する──

その三拝するところをシテの老人が帝に替わって見せる場面のほか、上京する“道行”の件り以外は動きがなく、四人の僧による“ツク”といふ地謡と、シテとワキの謡で、ほとんど話しは進行する。

いかにも寺院の藝能らしく読経風でありながら、細やかな節回しも取り入れた独特の謡ひを聞かせるのが主眼のやうだ。

初期の中世藝能は舞など動きより、静止して謡を聴かせるはうに重点がおかれていた──

福岡県へ幸若舞を観に行ったとき、地元の方がさう解説しておられたことを思ひ出した。


今日の公演に来た観客は、毛越寺常行堂の守護神である“摩多羅神(またらじん)”と御縁のあった人たち、といふことになるさうだ。

そして延年の舞は字の如く、長生きを寿ぐ舞でもある。


私はやりたいことがたくさんあるので、

どうかその時間を授けてたび給へ……。
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