迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道101 摺針峠→鳥居本宿

2017-02-04 06:24:37 | 旧中山道
名神高速に沿って小摺針峠を越えると、麓に立てられた道標に従って(上段写真)、右に進路をとります。

やがてはじまる急な勾配を辛抱して上ると、摺針峠の頂上に到着。

ここにはかつて、「御小休御本陣」と自称するほどの威容を誇った「望湖堂」なる茶屋本陣がおかれて、ここからは北近江の景色が一望できたとのこと。

いまも辛うじて、それらしい景色を眺めることができます。




望湖堂を過ぎて下り坂に差し掛かると、近年に整備されて通れるようになった山中の道へと入り、



サクサクと落ち葉を踏みながら一気に駆け下り、



一度国道8号線に合流。

すぐ左に分かれる旧道へと入り、いまや名前ばかりとなった松並木を通って、「鳥居本(とりいもと)宿」へと入ります。

かつてここに多賀大社の鳥居が立っていたことからその名が付いたこの宿場は、桝形の先あたりに軒を連ねる建物に、



古えの旅の風情がただよいます。

本陣跡には昭和十年代に外国人が設計した洋館風の住居が建ち、その右脇の倉庫は、



本陣の正門を転用したものです。


ちなみに、歌舞伎「隅田川続俤」の主人公“法界坊”は、この宿場にある上品寺の七代目住職がモデルになったもの。

法界坊といえば、迷演出で奇演した亡き十八代目中村勘三郎に見るような、破戒坊主のイメージがあります。

ところが実在の法界坊は、江戸へ出て托鉢修行をし、吉原の二人の花魁に協力を求めて釣鐘の鋳造費を集め、釣鐘が出来上がるとそれを地車に乗せて上品寺まで曳いて帰った、と云う名僧。

つまり他人(ひと)のやらないことを実行する性格のお坊さんだったようで、そうした個性が、狂言作者の奈河七五三助には、格好の材料となったのでしょう。

その上品寺は桝形からほど近い、国道8号線と近江鉄道線に挟まれた窮屈な場所に、件の釣鐘と共に現存。



余談ですが、近頃の下世話では釣鐘の音がうるさいと苦情をぬかす住民が多いとか。



とても信じられない話しですが、その者たちはすでに心身が悪鬼煩悩に侵されているゆえ、浄めの音色が障るのでしょう。


それはさておき、彦根へ通じることを示す道標と、そこから伸びるかつての“朝鮮人来朝道”を右手に見て宿場を出ると、先には田んぼのなかを道が行く、長閑な風景が広がります。



また、右手の向こうには東海道新幹線、左手の向こうには名神高速道路と、現代の高速移動を象徴する交通機関が並走しており、その真ん中を古い街道がのんびりと通っている光景は、まるで時代の変遷を一枚の絵にして眺めているようです。

現代ものんびりとした風情を失わない旧中山道ではありますが、この区間は車の通行量がなかなか多く、しかもけっこうなスピードで通り過ぎていくので、歩くには注意を要します。

また、新幹線と高速道路からの絶え間ない騒音など、昔の道を歩いていても昔の時空にいるわけではない現実感を覚えさせます。


―などと言っているうちに旧道は古い民家が続く小野町の集落を過ぎ、新幹線と高速道路との間隔がだんだんと狭まってついに挟み込まれそうになるあたりで「小町塚」を左手に見、間もなく新幹線の高架下をくぐると、景色はごく現代的なものに一変。



次の高宮宿まで、それが続きます。
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