迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―中山道102 高宮宿

2017-02-05 08:46:37 | 旧中山道
新幹線の高架下をくぐり抜け、面白味のない景色がつづく直線の道を行くこと約30分、芹川に架かる大堀橋を渡ると、右手に石清水神社の小高い丘が見えます。

この石段の中程、右手にあるのが「扇塚」。



江戸時代中頃、猿楽の喜多流九代目家元だった喜多七大夫古能(きた ななつだゆう ふるよし)は、隠居後に彦根に数年滞在し、多く門弟を育てましたが、いよいよ江戸へ帰る時、門弟たちへの餞別として、能面と扇を贈りました。

門弟たちはその後、師匠古能の彦根滞在のしるしにと、この神社に扇塚と面塚の一対を建立したのです。

―つまり、本来ならば面塚も残っていなければならないのですが、そちらは今では行方不明だそうです。

この扇塚には、

『豊かなる 時にあふぎのしるしとて ここにもきたの 名を残しおく』

と、古能が詠んだいかにも芸能者らしい絶妙な一首が刻まれています。


石清水神社からさらに15分ほど歩き、近江鉄道線の踏切を渡れば、鳥居本宿から一里半(約6㎞)の「高宮(たかみや)宿」に到着です。



ここは多賀大社の入口にあたり、宿場の中程にはその大鳥居のあるのが特徴。

この大鳥居を過ぎたあたりには、古い家屋がいまも多く残っています。



それは残しているというより、昔からそのまま住み続けて現在に至っている、という生活感のあるもので、

それが観光目的で整備保存された旧宿場町との決定的な違いであり、魅力であります。


さて、高宮宿のそばを流れる犬上川は、徒(かち)渡りが基本でしたが、よく増水して川止めとなるため、彦根藩はその打開策として、地元の富豪三名に一般人から費用を徴収させて常設の橋をかけることにしました。

その橋は、それまでの仮橋や渡し舟と違い無料で渡れることから、



「無賃橋(むちんばし)」と名付けられました。


その無賃橋を渡って、次の愛知川宿へと向かいます。
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