中山道最初の宿場「板橋宿」は全長1.7キロ、平尾宿・中(仲)宿・上宿の三つのエリアから構成されており、現在は商店街として、往年の活気を今に伝えています。
歌舞伎の「極付幡随長兵衛」にも登場する近藤登之助の屋敷は、上宿エリアにあったとか。
以前の記事のなかで紹介した“板橋”を渡り、板橋本町で環七を横断して清水町に入ってしばらく行くと国道17号線に吸収されて↓北上、
やがて“志村一里塚”へと差し掛かります↓。
一里塚とは、言わずと知れた一里(約4�)毎に設けられた距離の目印のことで、土を堆く盛って頂きに榎を植えたものを、道の東西(両側)に設ける決まりになっていました。
明治初期、政権交代のためもあって管理が行き届かなくなり、全国の一里塚が次々に廃毀されていったなかで、志村一里塚は当時の姿のまま残っており、これは北区西ヶ原の御成街道の一里塚と共に、大変に奇跡的で貴重なものだそうです。
歌舞伎の「極付幡随長兵衛」にも登場する近藤登之助の屋敷は、上宿エリアにあったとか。
以前の記事のなかで紹介した“板橋”を渡り、板橋本町で環七を横断して清水町に入ってしばらく行くと国道17号線に吸収されて↓北上、
やがて“志村一里塚”へと差し掛かります↓。
一里塚とは、言わずと知れた一里(約4�)毎に設けられた距離の目印のことで、土を堆く盛って頂きに榎を植えたものを、道の東西(両側)に設ける決まりになっていました。
明治初期、政権交代のためもあって管理が行き届かなくなり、全国の一里塚が次々に廃毀されていったなかで、志村一里塚は当時の姿のまま残っており、これは北区西ヶ原の御成街道の一里塚と共に、大変に奇跡的で貴重なものだそうです。