“志村一里塚”を過ぎると、国道17号線はやがて直線の長い下り坂となりますが、旧中山道はここから左斜めに逸れて、蛇行した急坂を下ります。
この急坂が、日本橋スタートの中山道最初の難関だった「清水坂」、かつては「隠岐殿坂」「地蔵坂」とも云ったそうで、当時は坂から富士山が眺められたとか。
交通の難所であることは現在でも変わらないのか、自転車に乗った男子高校生が坂の上り口で、一瞬バランスを崩してヨロけていました…。(↑は坂下から日本橋方面に向かって撮ったもの)
坂を下りきるとすぐに都営地下鉄三田線の高架をくぐり、同じく坂を下りきった国道17号線と環八との交差点を斜めに横切って板橋区東坂下に残る道へと入り↓、
600メートルほど先で再び国道に合流すると、中山道最初の渡し場、「戸田の渡し」を目指します。
この急坂が、日本橋スタートの中山道最初の難関だった「清水坂」、かつては「隠岐殿坂」「地蔵坂」とも云ったそうで、当時は坂から富士山が眺められたとか。
交通の難所であることは現在でも変わらないのか、自転車に乗った男子高校生が坂の上り口で、一瞬バランスを崩してヨロけていました…。(↑は坂下から日本橋方面に向かって撮ったもの)
坂を下りきるとすぐに都営地下鉄三田線の高架をくぐり、同じく坂を下りきった国道17号線と環八との交差点を斜めに横切って板橋区東坂下に残る道へと入り↓、
600メートルほど先で再び国道に合流すると、中山道最初の渡し場、「戸田の渡し」を目指します。