迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

もちたるばちをばつるぎとさだめ。

2014-04-19 19:49:06 | 浮世見聞記
矢来能楽堂にて、金春流の「富士太鼓」を観る。


雅楽の演奏家である夫を殺された、妻と娘の悲劇。

殺された夫は、太鼓(楽太鼓)の役者だった。

先に決まっていた太鼓の役者を蹴落として、自分がその役に就いたために、妬まれて命を落としたこの男に、わたしは同情できない。


そんな夫の身の危険を夢枕に予感した妻が、一人娘と共に、夫へ逢いに訪ねて行く-

女の身ではるばる旅をするなど一般的ではなかったこの時代、神仏に無事を祈るのではなく、実際に訪ねて行ったところに、わたしはこの妻の、夫への深い愛を感じる。


実際、この夫婦は仲がよかったのだろう。

妻は、夫の暴走気味な性格も含めて、愛していたに違いない。



亡夫への愛、仇敵への恨みはすべて、舞台前面におかれた作リ物の太鼓へと、集約される。


太鼓を打ち(討ち)、音(ね)を上げたことで本懐を遂げた、というあたりに、現在では不明とされている作者の、言葉あそびのセンスを感じる。


太鼓を“打つ”ことで仇を“討った”ものの、妻は立ち去り際にもう一度、太鼓を振り返る。

愛する人との永遠の別離(わかれ)を、そう簡単には受け容れられるはずもない。


この曲は「井筒」とならぶ、深い夫婦愛をうたった名作といえるかもしれない。






ちなみにわたしは、雅楽の楽器のなかで、楽太鼓がもっとも好きだ。

あの、“ドォン……!”という深い響きに、わたしはきまって広大無辺の空間-宇宙を連想するのだ。
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