ラジオ放送で、寶生流の「忠度」を樂しむ。
和歌の師匠である藤原俊成に自作を數首託して西國落ちした平忠度だが、千戴集に採り上げられた一首が時勢を憚り“読み人知らず”とされたことを遺憾として、今なお娑婆の妄執から解き放たれずにゐると俊成の家臣だった旅僧に訴へる、修羅物のなかでは“文”の風雅に眼目をおいた異色の秀作。
忠度(ただのり)は官職が薩摩守(さつまのかみ)であったことから、渡し舟を無賃で乗らうとする旅僧の失敗譚である狂言「薩摩守」がつくられ、現代でもかつては電車を無賃乗車することを、「さつまのかみ」(=ただのり)と隠語で用ゐたさうだが、私は實際にさう云ってゐる人を見たことはない。
文武両道であっても、“武”の一族(いえ)に生まれた以上は世を捨てぬ限りその運命は必ず付ひて回はり、一ノ谷で右腕と首を斬り落とされる最期は浮世の冷厳そのものである。
曲に古人先人の和歌を箔のごとく散りばめ、しかしそれが“宿命”を強く印象づける効果をあげたこの名曲はやはり、見所(客席)にも人を得た演能會で觀たいものだと、今回の寶生流の重厚にして優雅な素謠に耳を傾けつつ、待つ春を想ふ。