小旅行のつもりで久しぶりに千葉縣佐倉市の國立歴史民俗博物館へ出かけ、企画展示「陰陽師とは何者か─うらない、まじない、こよみをつくる─」を觀る。
明治十五年に陰陽道が廢止され、安倍晴明以来その役職を司ってゐた土御門家も斷絶して子孫の行方もはっきりしない──どこかにはゐるらしい──現在、「陰陽師(おんやうし)」と云はれても、具体的に何をやってゐた人達なのか、私にはよくわからない。
それを知りたくて出かけてみたが、古文書とその細々すぎる解説文の連續に目が疲れて、途中から飽きてしまふ。
やうするに、企画展示の副題にある「うらない、まじない、こよみをつく」って貴賤に指針を示す仕事をしてゐた、と云ふこと、近年の映画にあるやうな、やたら自信満々な薄ら笑ひを浮かべた狂言役者が扮した悪靈退治師のそれは、ほとんど稀なシゴトであったことが分かれば、とりあへず間違ひないことを得る。
そして、江戸時代に調整されて旧家に傅はってゐたと云ふ陰陽師の装束──風折烏帽子、白丁(狩衣)、袴──の實物が展示されてゐるのを見て、やっとかつての日本にはさう云ふ仕事があった事實を會得する。
それが、今回いちばんの収穫。
博物館へつながる佐倉の道は、いつ来ても変はらぬ佇まひで私を迎へてくれる。
その変はらぬと云ふことが、
訪ねる私の心の潤ひとなる。