陶芸工房 朝

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やきものの町「常滑」

2005年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2005_03_13_0072005_03_13_0102005_03_13_0062005_03_13_003やきものの町「常滑」にいってきました。

 「常滑」は、いまや「やきものの町」というより「中部国際空港・セントレア」で騒がれている話題の町という方が分かりやすいかもしれません。でも、私の目的は、あくまでも、「やきものの町・常滑」の探訪。

 常滑というのは、知多半島の真ん中あたりにある小さな町の名前で、そこで焼かれるやきもののことを「常滑焼」といいます。最近では、朱泥を使った急須や茶器が有名ですが、本命はなんといっても「甕」、それも大甕や土管です。
私が子供の頃には、町のあちこちで、醤油や酒や酢などをいれた茶色の大きな甕を見かけたものです。
それが、常滑で焼かれたものだということを知ったのは、自分がやきものを始めてからのことでしたが、12世紀の終わり頃には、すでにたくさんのやきものを生産するやきもの産地として、日本六古窯の一つに数えられています。(写真1・2は、登り窯とその窯の中)。
海辺の町で焼かれた大きな甕が、船に積まれて海を渡って、日本全国津々浦々まで運ばれていった。それがこの半世紀の間に、いつの間にか時代から取り残されて、消えていってしまった・・・・・・・・。そんなストーリーでしょうか。

とはいえ、今でも、町の中央の小高い丘を中心にやきものづくりは盛んに行われています。
(写真3は、やきもの散策の道・昔の土管や甕が道のオブジェになって、両側から顔をのぞかせている。) 
くねくねといりくんだ迷路のような小路を散策していると、いろいろなやきものに出会えます。
小さな工房に立ち寄って、ああだこうだと、やきもの談義を楽しむのも、やきもの好きにはこたえられません。
この町は、今も伝統工芸を守り育てるだけでなく、ものづくりをする若者たちに、さまざまな便宜とチャンスを与えてくれる町だ、とも聞いています。(写真4は、駅のギャラリーでインスタレーションをしている若者たち)

愛地球博、中部国際空港、そして21世紀の超近代的なハイウエイ、そんな中に取り残されたように存在するヨーロッパ中世のギルドの町のような常滑、そんなこの世離れしたノスタルジックな町が、いつまでも元気で消えることなく守り育てられることを、祈らずにはいられません。