陶芸工房 朝

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年々歳々花相似 歳々年々人不同

2018年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国の唐時代の漢詩の一節に、

「年々歳々花相似」(年々歳々花相似たり)「歳々年々人不同」(歳々年々人同じからず)

というのがある。誰でも知っているこの有名な一節を、草書で書いてみた。 

「花は年々同じように美しく咲くが、人は花と同じではなく年々老いていく。今日の美少年も、明日には白髪の老人となる」と、まぁ、人生の諸行の無常を嘆いた歌である。 一年をスパンで巡る花の命と、人の一生とを対峙させて無常を感じても詮なき事、とも思うが、この頃、そういう感慨が判るようになった。人は自分を基準にしてしか物事を考えられないものらしい。

 

 

    植物は、たしかに太陽のひとめぐりを基準に生きている。しかもかなりの正確さで、その出番さえ決まっている。「今年も一番のりはクリスマスローズだったよ」と先日のブログに書いたが、今日見ると、今度はバイモユリが5センチほどの緑の芽をのぞかせている。去年と全く同じ順序である。 彼らの持つている体内のバイオリズムが、それぞれ独自に季節に反応するのだろう。

それは私の思考でも十分に理解できる営みである。

 

  

ところが、

  数日前の月蝕の後半、 深い闇の中に、赤茶色のボールのような月がポツンと浮かんでいるのを見た時、なぜか、縄文の民たちが空を見あげてざわめき祈りの呪文を唱えている様子が思い浮かんだ。 

 

   

  自分の人生のスパンではとらえられない時間には、「悠久」を感じてしまうらしいのだ。 

科学的には、十分」理解しているはずなのに・・・。