春の日差しは力強い。まだ冬から抜けきらないでいる裸の樹々に、朝の光は、斜め上方から降り注いで美しい陰影を作り出している。初春の明るい日差しに包まれて庭掃除をする。枯葉を掃きながらふと見ると、木陰にひとつ蕗の薹が顔を出している 。
「ああ ハルガキタね」「ウン ハルガキタよ」
植物たちと秘密の合言葉。
ふと、歳時記の「蕗の薹」の欄を見ていたら、こんな句に出合った。
襲(かさね)たる紫解(と)かず蕗の薹 後藤夜半
一見、何のこと? 何を読んでいるのか判らなかった。
「襲ねたる」とは着物を襲ること、重ね着の意味である。重ね着の「紫」そう、蕗の薹の写真をよく見ると、紫色の衣にくるまれて、その内側に 萌黄色がのぞいている。
昔から良く見知っているはずの蕗の薹なのに、紫色の重ねに気づいていなかったのだ。紫色の衣がぱらっと一片ずつ解けて、中から萌黄色がのぞく頃、人々は「ああ春がきたなー」と実感したのだろう。なんという観察眼だろう、自然に対する眼差しの深さにおどろかされる。
*
余談だが、平安朝の女房装束には「襲の色目(かさねのいろめ)」という約束事があって、色の構成には、匂い、薄様、裾濃、村濃、 などの区分があった。さらに性別や年齢や身分や季節などによっても、その使い方が分けられていた。それらの色目の基本にあるのは、四季折々の 草・木・花・の色どりであった。(自然の植物から色の染料を取っていたこともあるだろうが) 自然界の色の移ろいが、平安の色の美学の基調をなしていたのだ。
上記の俳句の作者も、蕗の薹 をみた時、そうした「襲の色見」のことをとっさに思い浮かべたのだろう。
ちなみに「日本の色辞典」の中には、春の「襲の色目」として上記の色見が記されていた。
まさに蕗の薹の色味である。