陶芸工房 朝

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ロックダウン・都市閉鎖?

2020年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

桜が咲き始めた3月22日から2週間、今、窓の外ではひらひらと桜の花びらが舞っています。

桜の花びらの落ちる速度は雪の降るのと同じとかで、くるくると回転しながら落ちてゆく花びらは、

さながら春の雪のようです。

         

 青い葉っぱが出てきて花びらの中心が赤くなると花は散り始めます。

まだ桜の蕾が固い木の一部のようだった三連休の初め、「さくらだより」を書き始めた頃は、静岡県のコロナ感染者は1人でした。しかもそれはダイヤモンドプリンセスの乗船者だったので、春はいつものようにのどかに始まろうとしていました。それが、蕾が開いて、満開になって、散っていくこの2週間の間に、静岡の感染者数も二桁にまで増え、緊急事態宣言とかが出されるようになりました。市民は不要不急の外出を避け、学校もお休みになりました。こちらもこの春の上野の展覧会の搬入が延期になり、急に気がぬけた感じです。

テレビでは、「あきらかにパンデミックは加速しています。ロックダウンをかろうじてもちこたえている状態です」と報じています。久しぶりにパソコンを開いて調べてみました。

パンデミックとは「感染が世界中に広がること」のようです。この用語が、生きた単語であることは、すでに人類が経験しているということ。紀元前のギリシャやローマに始まり、14世紀のペスト、16世紀の天然痘、19世紀のコレラ 20世紀のスペイン風邪 そしてエーズ、サーズ。

カミユの「ペスト」やトーマスマンの「ベニスに死す」を思い出します。そして今、世界がまさにそのパンデミックな状態にあるということの実感がつかめず、不思議な物語の世界のようにも思えています。長い歴史の中、人は人同士の戦いだけでなく、大自然の驚異・ウイルスとも戦い続けてきたのですねー。

 

 谷津山への登り口は、ここしばらくの間、さくらの絨緞になします。

「生きる」とはどういうことなのか!「戦い」とはどういうことなのか! 

そんなことを考えつつも、単純な私は、花が開花するまでの時間と、ウイルス感染までの時間の合致も、同じ天地創造の論理の上にあって、ウイルスの存在そのものも人類の傲慢を懲らしめる創造主の意思かもしれない、等と思ったりするのです。が、そのロックダウン(都市封鎖)がいざ現実のものとなると、ただじっと身を縮めているほか術がないのです。