よく行くお蕎麦屋さん「八兵衛」のレジの近くに「どうぞお持ち下さい」と置いてあった夕顔の苗、何気なくそれを1本だけ頂いて鉢に植えておいたら、どんどん大きくなって、熱波続きのこのひと夏を楽しませてくれた。
夕顔の妖艶に咲く闇の中 (写真・懐中電灯で照らしてとったもの)
真夜中、夕顔は真っ白な妖艶な姿と甘い香りであたりを魅了する・・・、だが人間様は寝ていてそれを見ることがない。
翌朝、気が付くと花はもうしぼんでしまっていて、しばらくするとぽたりと地面に落ちる。
それなのに、真夜中にあんなに華やかに咲くのはいったい誰のためか? どうしてなのか? と問いたくなる。
ところがこの文章を書きながらが、ふと思い出したことがある。源氏物語の「夕顔」のことだ。夜、男性が好きな女性のところに忍んで会いに行くのは、平安の頃の習わし、男女の出会いの舞台は「夜這い」だった。当時は電灯がなかったから夜は本当の暗闇だったに違いない。そんな真っ暗な夜道を行く中、垣根か何かに真っ白な夕顔の花が咲いている、甘い香が漂っている・・・・、男はそこに美しい女性像を想い描く・・・、最高の舞台に違いない。
心あてにそれかとぞみゆ白露の光り添えたる夕顔の花
そこに主の女から手紙が届く・・・、なんと心憎い状況ではないか!
咲き終わってしぼんだ花々が何だか可哀そうな感じがして摘んで持ち帰ったが・・・・なんの役にも立ちそうにない。
夕顔のいさぎの良さや一夜花